【北京の二十四節気】雨水-北京の二つの白い塔-

雨水-北京の二つの白い塔 2019219日 曇りのち晴れ (最高気温 7、最低気温 -4

 

【妙応寺の赤壁と白塔】

 

旧正月の11日(25日)、妙応寺を訪れました。妙応寺は白塔があるために白塔寺とも呼ばれています。

今年の春節は、昨年から北京市内(第五環状線の内側)での爆竹などの花火の使用が禁止されたため、たいへん静かなものとなりました。これまでは大量の爆竹を大蛇のように並べて大きな音を破裂させたり、段ボール箱のような連発式の花火をすき間なく打ち上げたりと、凛とした夜空のなかで家族全員が思い切り騒いで新年を迎えていました。繰り返してすみませんが、それが禁止されたのです。本当に拍子抜けするような年越しとなりました。昼間、街を歩いていても、普段と変わらずバスやタクシー、乗用車が走り(さすがに渋滞はありませんが…)、地下鉄に乗ってもほどほどに乗客がいます。地方出身者が多い北京では、45年前まで「空城の計」と言われるほど人の姿が無くなりましたが、今では通常の平日とあまり変わらないように見えます。生活の向上につれて、日本と同じように中国でも昔の風習が薄れつつあるようです。

 

 

【妙応寺の山門。横断幕には爆竹禁止のスローガンが書かれている】

 

阜成門内大街は昔の城壁があった阜成門から西四までを結ぶ大通りです。大通りの南側は、高層ビルが林立し、話題となっているAIIB(アジアインフラ投資銀行)など数多くの金融機関が集中する金融街です。一方、反対の北側は胡同(フートン、「路地」の意)のなかに四合院作りの古い建物が並ぶ昔ながらのエリアです。

 

【胡同からみた妙応寺の白塔】

 

妙応寺はこの大通りの北側、沢山の電線が縦横無尽に伸び、その下を古い建物が肩をすぼめるように並ぶ一画にあります。横50m、縦200mの細長い敷地に、南側から山門、一殿、二殿、三殿、四殿と続き、最後に白塔が立っています。伝承では、白塔から四方に弓を射り、弓が届いたところまでを寺域にしたそうです。いまはそれほど広大ではありませんが、南面の縦200mはほぼ当時のままだそうです。

 

【白塔に向かって祈りを捧げる家族】

 

妙応寺の白塔はチベット仏教の様式によって建設されたもので、中国に現存する最古で、最大のラマ塔です。モンゴル人が中国を支配した元朝至元8年(1271年)、皇帝フビライは国名を大元に改め、大元皇帝の王座に就くとともに、この塔の建設を命じました。

白塔は全長51m、土台は須弥座(しゅみざ)など三層からなり、土台の上には円柱形の大きな腰が伸び、そこから十三層の節(ふし)を持つ首(十三天ともいわれる)が天を衝き、その上に黒色の銅が三十六個の鈴を吊るして首を守るように乗り、最上の頭部には八層の塔刹(とうさつ)が置かれています。

 

【転経筒(てんけいとう)をもって白塔を回る女性】

 

妙応寺では廟会(びょうかい)という春節の縁日のようなものはないため、沢山の人が押し寄せるということはありませんが、思ったよりも多くの人たちが来ています。人々は四ヵ所の仏殿を参拝したのち、白塔の周りを時計回りに何周も回ります。一人の女性は転経筒(てんけいとう)というチベット仏教徒がよく使う筒を右手に持ち、左手には数珠を握りながら回っています。回るということは、仏教の代表的な教えの一つで有る輪廻転生(りんねてんしょう)を表していると思います。

 

【右が北海白塔、左が妙応寺の白塔】

 

冒頭から妙応寺の白塔を紹介しましたが、上の写真は今回の主役である二つの白塔が一緒に映っているものです。右が北海白塔と呼ばれる北海公園にある白塔で、左が妙応寺の白塔です。この写真は、北京故宮博物院の真北にある景山(高さ43m)から撮ったものです。これだけでは分かりづらいかもしれませんが、景山から西をみてほぼ直線上に、北海白塔と妙応寺の白塔が並んでいます。

 

【妙応寺の白塔(高さ51ⅿ)】

 

【北海白塔(高さ35.9m)】

 

大きさを比較するために、2枚の写真を用意しました。二つの塔の大きさによって、写真の縮尺を目分量で調整しました。先ほどの二つの塔が一緒に入っている写真では北海白塔のほうが大きく見えますが、これは遠近によるためです。実際には、北海白塔は高さ35.9mで、妙応寺の白塔51ⅿに比べて3割ほど小さいのです。

 

【北海白塔が建つ瓊華島(けいかとう)と白い石橋】

 

次に北海白塔を紹介します。

北海公園は、このコラムの記念すべき第一号(2016621日夏至(空竹)』)で取り上げたところです。この公園は名前のとおり北海という湖が大部分を占め、湖の南側、人びとを迎える玄関口に瓊華島(けいかとう)という小さな島が浮いています。その島には景山より10mほど低い小山(高さ32m)が重しのようにかぶさり、最後の鎮めとして北海白塔が山頂にそびえたっています。

 

【北海白塔に向かう急な階段】

 

北海白塔もチベット仏教様式のラマ塔です。妙応寺の白塔から380年の時を経た清朝順治8年(1651年)、チベット仏教の高僧ナムハン(中国語=悩木汗)の具申を受けて、順治帝がその建設を命じました。ちなみに、この年は、清朝が中国全土をほぼ掌握し、順治帝が14歳の若さで親政を始めた時です。それから9年後の23歳の若さで生涯を閉じた皇帝にとって、それは晴れやかな絶頂期であったかもしれません。このように二つの白塔はともに、新しい国が誕生した早々に建設されました。古い体制を打ち壊し、新しい国に生まれ変わるという力がみなぎるときでないと、巨大な土木建築は推進できないのかもしれません。

 

【北海白塔】

 

北海公園の南門を入ると直ぐに白塔が見えてきます。白塔のある瓊華島(けいかとう)へ渡るために白い石橋がかかっています。石橋を渡り、北海白塔をまつるために建てられた永安寺に入り、仏殿を参拝しながら、三ヵ所の急な階段をのぼると白塔の巨体が現れます。多くの凹凸が重なり合っている須弥座(しゅみざ)の上に、丸く大きな塔身が乗り、そこから十三層の節目を持つ細い首が伸び、その首を守る黒色の銅盤は妙応寺の白塔では36個でしたが北海白塔では半分の18個の鈴が吊るされ、最上の頭部には月、日、火焔を表す塔刹(とうさつ)が置かれています。

見比べると、妙応寺の白塔は巨体の割にはすっきりしていてスマートな印象を受けますが、北海白塔はでっぷりと太った仏様が白い法衣をまとって座禅を組んでおられるようにもみえます。

 

【北海公園でスケートを楽しむ人たち】

 

北京には万里の長城、故宮博物院、天壇、頤和園など世界遺産をはじめ数多くの名所旧跡があります。北京の人たちにとって、それらは誇れるものではありますが、世界的な名声があるがゆえに少しばかりよそよそしいものでもあります。それに反して、北海白塔は昔から変わらずに彼らの心の拠り所なのです。聞くところでは、文化大革命の際、猛威をふるった紅衛兵たちでさえ、北海白塔には指一本触れなかったそうです。それは、幼いときから四季を通じていつもその前で遊び、いつも自分を温かく見守ってくれる北海白塔が母親のような存在であったためです。今でも北海白塔の優しい眼差しに包まれながら多くの人たちがスケートを楽しんでいます。

 

 

文・写真=北京事務所 谷崎 秀樹

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★本コラムについてはこちらから→【新コラム・北京の二十四節気】-空竹-



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