芒種-三里屯(2018年6月6日 曇り 最高気温 36℃、最低気温 25℃)
私のような古い年代の者にとって、三里屯(さんりとん)という言葉を最初に目にしたのは『北京三里屯第三小学校』(浜口允子氏著、岩波新書)でした。本書は、著者の夫君が日中覚書貿易事務所の北京駐在員となり、両国が国交を回復する1972年9月27日の前月から北京で暮らしはじめ、お二人の長男と次男が数少ない日本人として現地の小学校のなかで学び、同級生たちと交流を深めていく3年間を記録したものです。そのなかには、当時人民公社がまだ存在し、ピーナッツ畑が広がる緑豊かな田園が、大使館街として急速に変わっていく三里屯の様子も描かれています。
【緑に囲まれた三里屯外交官専用アパート】
今でも浜口氏ご家族が暮らした三里屯外交官専用アパートはあり、その北方には各国の大使館が豊かな木々に囲まれながら静かにたたずんでいます。
しかし、そこから5~6分も歩けば、昼夜を分かたず多くの若者が集まり、朝までネオンの火が消えない不夜城があるのです。
三里屯は、1980~90年代にかけて、大使館に住む外国人の需要に応じて、雑貨や小間物を扱う店が現れてきます。2000年代に入ると、最先端のショッピングモールや高級ホテルが建設され、小さな雑貨店は喫茶店やバーに変わり、北京で1、2位を争うバー・ストリート(中国語では「酒吧街」)へと成長していきました。
今回は、そんな静と動が雑居する三里屯のなかで、今一番注目を集めている太古里とバー・ストリートを中心に紹介します。
三里屯太古里(Tai Koo Li Sanlitun)は洗練されたショッピングエリアです。5.3万㎡の敷地に、4階建ての建物が全部で19棟、ゆったりと配置されています。ここは、2008年7月に三里屯VILLAGEとして開業し、2013年4月に現在の名前に変更しました。
写真の気障っぽく頭をかき上げている青年が渡っている道が三里屯路です。この三里屯路をはさみ、西側が太古里、東側がバー・ストリートです。例えていえば、ブティックが並ぶ六本木と新宿の歌舞伎町が道を隔てて共存しているようなものです。
まずは美女に登場してもらいましょう。中国人も日本人と同様にガイジンさんには弱いです。この太古里には、洋服や化粧品、雑貨、スポーツ用品、そして、レストランやカフェなど、世界的なブランドや東洋進出第一号といった店が数多く開業しています。そのため、ガイジンさんが多く出没し、それに比例して、中国の若者も数多く集まっています。
太古里の南エリアには小さな噴水があります。この噴水は突然大きく水を出したり、急に止まったりします。子供達にとってはその不規則なところが面白いらしく、キャッキャッと弾みながら遊んでいます。かわいそうなのは親達で、水しぶきのなか、はしゃぐ子供を必死に追いかけていました。
ドリンクのテイクアウト専門店「喜茶(Hey Tea)」は、いつも行列が絶えません。写真右側の黒いTシャツのおじさんはダフ屋です。彼に頼むとなぜかしら商品が素早く手に入る仕掛けになっているようです。彼以外にも数名のダフ屋らしき人物を見かけました。金になるとなれば、なりふり構わず貪欲になるのが中国人の逞しさで、それを誰も制止しないのも中国らしいといえば中国らしいところです。
写真の本屋は、扉を開けると直ぐに階段が有ります。この階段を一歩下りるごとに、外の喧噪を忘れていきます。店のなかは細長く、中央には楕円形の喫茶コーナー、その周りにはらせん階段が置かれ、子供の頃に憧れた海賊船の船倉に入ったような感覚が起き、無心に本を探すことができる設計になっています。しかし、へそ曲がりな自分などは、こんな場所代の高いところで、本屋を経営するのも大変だろうとどうしても俗世のことを考えてしまいます。
沢山の戦利品を持った青年の誇らしげな顔をご覧下さい。彼の肩にかけているベルトは景品を7個以上ゲットすると店が無料で呉れるそうです。彼に聞くと、今日は200元(約3,400円)を使ったそうで、運が良かったと言っていました。
このクレーン・ゲーム、携帯の電子マネーから店内専用のコインを買って遊びます。現金だけ持っていても遊ぶことはできません。中国のキャッシュレスはここまできているのです。この店は若者の間で大変な人気になっていて、週末には入場制限を行うほど混んでいます。ただなぜか、店内で流れている曲は中島みゆきでした。
太古里の南エリア正面入り口には、カメラ小僧というかカメラおじさん・おばさんが沢山詰めかけています。彼らの狙いはきれいな格好をしたお嬢さんです。写真右の数名のカメラマンが左側の赤い洋服を着たちょっと脚が太いお嬢さんを狙ってシャッターを切っています。若い女性にとって、ここで写されることは一種のステータスシンボルになっているようで、お嬢さんたちも声を掛けられれば、気取ったポーズをしてみせます。
緑と青の縞模様が夕日に照らされている不思議な建物は、瑜舎(the Opposite House)という高級ホテルです。設計は日本の著名な建築家である隈研吾氏です。同氏はこのホテル以外にも三里屯SOHOの設計を手掛けるなど、三里屯とは縁の深い方です。
夜になりました。今日は珍しく月がきれいに見えています。奥中央に見えるネオンに彩られた建物はインターコンチネンタルホテル(Intercontinental Beijing Sanlitun)が入っている通盈センターというビルです。このビルは太古里から大きな道を隔てた向かいにあります。
ついにバー・ストリートにやってきました。写真手前の道が先ほど紹介しました三里屯路です。沢山のバーが軒を連ねるこの一帯は、煌々とネオンが輝き、朝まで消えることはありません。しかし、輝くネオンの下は薄暗く、その細く暗い道には、客引きがわんさかといます。客より客引きのほうが数倍も多いのではないかと思うくらいです。明るいはずの太古里側の木々の下からも、怪しい声を掛けてくる者がいて、びっくりします。この道を越えて、天国に行けるか、それとも大金を巻き上げられて地獄に落ちるかは、すべて貴方次第です。お気をつけ下さい。
客引きの声を掻き分けながら、一軒の店の中を覗き込むようにして撮りました。写真を見ていただくと分かるとおり、夜も更けたというのに、店のなかに客は一人もいません。ステージに立つ3人の歌手は空席に向かってむなしい歌を歌っています。
隣の店ではひも状のどぎついビキニを着た女性がステージの真ん中に据え付けられたポールに体を絡ませながら踊っています。黒いビキニが白い肌と白いポールによく映え、思わずカメラを構えたとたん、「撮るな!」と腕が異様に太く、腹の出たおやじに怒鳴られ、ほうほうのていで逃げ出しました。
やはり、カメラ小僧になる道は前途多難です。
文・写真=北京事務所 谷崎 秀樹
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