夏至-北京の大学統一入試(2018年6月21日 晴れのち曇り 最高気温 35℃、最低気温 23℃)
中国では、6月7、8日の2日間、全国統一の大学入学試験が行われました。まさに一発勝負で、この2日間の結果によって大学への扉が開かれます。しかし、受験生をはじめ見送りにきた両親や高校の先生などの表情を見ると、日本と違って緊迫感が少ないのです。どちらかといえば、お祭り騒ぎのようなあっけらかんとした雰囲気があるのです。
誤解を恐れず極端ないい方をすれば、日本の大学受験が学生を切るためにあるとすれば、中国の統一試験は学生が自分で大学を選ぶためにあるのです。切られる心配がないと分かっていれば、やっとこの日を迎えることができたと嬉しくなるのは当然かもしれません。
【入試会場の北京第二高校に集まった人々】
上の写真は、初日に訪れた「北京第二中学」です。中学とありますが、日本的にいえば「北京第二高校」です。中国は日本と同様に、6・3・3・4制ですが、呼び方が多少違います。日本の中学は中国では初等中学、高校は高等中学といい略して中学ともいうのです。そのため、我々日本人には大変に分かりづらいので、固有名詞ではありますが、本コラムでは日本式の高校、大学というように標記しますので、ご了承ください。
北京の統一試験会場は、大学ではなく、高校で実施されます。ただし、学生は母校では受験できず、周辺の別の高校に割り振られます。これも一つのカンニング対策のようです。試験会場が慣れ親しんだ母校ではないために、道を間違えたり、渋滞に巻き込まれて遅刻する、或いはパトカーに先導してもらうなどの事態が毎年起こるようです。試験会場近くのホテルは受験生とその家族で満室となり、この時期だけは値段が倍以上に跳ね上がります。
【受験生と両親。母親は子供を見送ったあと涙ぐんでいました】
北京第二高校は、清朝雍正二年(1724年)、統治者である満州貴族の子弟の教育を目的として創設された由緒ある学校です。故宮から東に2kmほど離れた内務部街という胡同(フートン、北京の昔からの路地)のほぼ中間に位置し、古色豊かな門が当時の威容を伝えています。
試験は9時から始まり、開始30分前には入場するように指導されているようです。やじうまで有る私は、8時前に内務部街の入り口に着きましたが、すでに多くの警官が出動し、会場に通じる胡同への自動車の進入を禁止しています。受験生のほとんどはジャージなどの普段着を着て、両親と一緒に三々五々集まってきます。さすがに初日の緊張のためでしょうか、彼らは一様にこわばった表情をしています。
受験会場の前では、高校の教師が、出身高校毎に数名グループを作り、受験生が到着したかどうかをチェックしています。試験会場の正面入り口やその周辺には複数の警官が配置され、中国で有名なミネラルウォーターを販売する会社はカウンターを出し、10数名のアルバイトを雇って、このときだけは無料で自社製品は配っています。時折、自転車に乗った近所のおじさんやおばさんが、人をかき分けながら通っていきます。
【入場が始まりました】
8時になると北京第二高校のゲートが開かれ、入場が始まりました。入り口では受験票と身分証明書のチェックが行われます。受験票や筆記具を入れた透明のビニール袋だけを持って身軽に入場する学生もいれば、かばんを持っている受験生もいます。かばんは係員によって目視でチェックされています。携帯電話の持ち込みが禁止されているようで、親に渡している生徒もいました。8時40分には最後の受験生が入りました。統一試験は、年に1回だけの子供の将来を左右する一大事ですから、受験生全員が会場に入り終わると、両親も高校の教師も警官もみな緊張から解き放たれたように表情を緩め、記念写真を撮り始めます。しかし、9時の受験開始のベルが鳴っても、ほとんどの親はその場にたたずみながら校舎を見つめていました。
【子供が入場したあとも校舎を見つめる親たち】
初日の試験は、午前9時~11時30分、文系・理系ともに論文、午後15時~17時、文系は文系数学(日本の数学ⅠⅡに相当)、理系は理系数学(日本の数学ⅠⅡⅢに相当)です。論文では、「緑水青山図」という習近平主席が提唱した理論が選択テーマの一つとして出題され、中国のネット上で話題になりました。
統一試験は2003年から毎年6月7、8日に固定されています。しかし、問題は直轄市や省(日本の県に相当)などによって違います。北京、上海、天津などはそれぞれ独自に問題を作成します。一方、国家教育委員会が作成する全国Ⅰ巻、全国Ⅱ巻という問題のどちらかを採用する省も多くあり、さらに一部省では英語や数学などは全国Ⅰ、Ⅱ巻のどちらかを採用するが他の科目は自分の省で作成するといったように、様々なパターンがあります。統一試験でありながら問題が省によってバラバラで統一していないところが、中国の統一試験の特徴です。
【北京市陳経綸高校の校庭内に建てられた清水安三氏の胸像と試験開始を待つ受験生たち】
二日目は北京市陳経綸高校を訪れました。なんとこの高校は、日本人の清水安三氏が開設したものです(詳細は以下※を参照ください)。
※清水安三氏と北京市陳経綸高校
清水安三氏(1891-1988年)はキリスト教宣教師として、1917年、瀋陽を訪れ、のち北京に移住。1919年、中国北方地方で発生した大干ばつの際、彼は毎日馬車で北京郊外に赴き、被災児童を収容、その数は800名に達した。その後、清水氏は妻と共に浄財を集め、女子児童の基礎教育と自立を目的として、1921年、崇貞女子学園を朝陽門外の被災民居住区に設立、終戦までの20数年間に700名以上の卒業生を輩出。新中国設立の後、この学園は、北京女子第四高校と名を変え、1976年には朝陽高校となり、1991年、香港の企業経営者である陳経綸氏が同校に2,000万人民元を寄付したことにより、寄付者の名を冠した今の校名となる。なお、清水安三氏は終戦の翌年(1946年)日本に帰国し、桜美林学園を設立、1966年には桜美林大学を開設。
【母校の教師に抱きつく生徒】
この高校は、北京CBD(Beijing Central Business District)という高層ビルが建つ商業エリアに近接し、本年2月19日雨水-春節のショッピングモール-で紹介しました『僑福芳草地』の北隣にあります。
正門には校名が大きな字で掲げられ、目の前は広い車道になっていて、前日の胡同と同じく車の進入が禁止されています。
受験生をはじめ、両親、高校の教師、警官など役者は前日とほぼ同じですが、二日目ということで多少慣れてきたためでしょうか、学生は初日のようなこわばった表情は少なく、教師と会うと抱き合ったり、笑顔で話をしたりしています。二日目の試験は、午前9時~11時30分、文系は文科総合(思想政治、歴史、地理)、理系は理科総合(物理、化学、生物)、午後15時~17時、文系・理系ともに外国語(ヒアリングを含む)です。
【智恵を授ける高校の先生】
今年の統一試験受験生は全国合計で975万人、昨年に比べて35万人増えて、直近8年間で最高の受験者数でした。これは彼らが生まれた18年前の2000年が、中国では「新世紀の年の子」「千禧の年の子」と呼ばれるベビー・ブームであったためです。
2週間の採点時間を経て、6月23日12時から成績発表が行われます。成績発表は点数だけではなく、北京市全体で自分が何番目に位置するかという順位も一緒に分かるようになっていて、当然、受験生本人しか知りえないものですが、北京市の文系と理系の成績トップだけは氏名、出身中学、成績が大々的に公表されます。これは、中国で1,300年間に亘り続けられた科挙の最終成績トップが「状元」と呼ばれた伝統を引き継いだものです。
このとき、中国のすべての大学の最低採用点数も一緒に公表されます。受験生と両親は、自分の成績・順位と大学の最低採用点数を見ながら、どの大学に応募するかをにらめっこするのです。応募は希望順に6つの大学まででき、上から希望が叶った段階で晴れて合格となります。
このシステムによって、中国では、多くの学生が大学に進学ができるようになりました。2017年のデータによると、北京の統一試験参加者のうち、大学(中国で本科という)への進学率は66.8%で、残りの者は、専門学校(同じく専科という)に進むか浪人を選んでいます。ちなみに、北京では日本のような予備校はなく、もう一年勉強する学生は、自分の出身高校に戻るか別の高校の専門クラスに入るようです。しかし、浪人を選ぶ学生は高校1クラスで1~3名程度しかいないそうです。
【受験生に手を振る高校の教師たち】
1ヶ月以上の長期にわたりほぼ毎日、複数の大学を受験する日本の入試システムに比べれば、一発勝負の中国のほうが、受験生の肉体的・精神的負担や親の経済的負担などは少ないと思います。
中国では、先ほど述べたとおり、省毎に問題が違うために、一つの大学の最低採用点数も各省毎に違うのです。例えば、中国最高学府の一つである北京大学のある学科の最低採用点数は、北京の学生は650、天津は664、内蒙古は621……というようにバラバラなのです。採用に当たっては、中国の計画経済体制時のやり方であった「割り当て制」が踏襲されています。中国の大学では、上層部からの指導により省毎に採用人数が割り当てられており、北京、天津、内蒙古……からはそれぞれ何人というように事前に決まっているのです。そのため、合否を判定する者は、省毎の最低採用点数と応募生徒の順位だけをみて判断すればよいのです。複雑な計算式を使って、点数を平均化し、全国レベルの順位をはじき出して、合否を決めるというような日本人が考えそうな面倒なことは一切やらないのです。反面、この割り当て制は、人事が介入しやすいため、例えば、北京大学や清華大学など北京に立地する大学は、国立大学であるにもかかわらず北京の学生を多く採用するといった地元優先の問題が長年指摘されています。また、都市にいる地方戸籍の受験生は、住んでいる都市ではなく、本来の戸籍地で受験しなければならないという戸籍の問題もあります。
【ここでも親たちはずっと立っていました】
中国は対外開放以降、40年の歳月を経て、急速に発展しています。そのなかで、大学入試システムも変化しています。1977年冬と1978年夏、文化大革命によって中断した大学入試は10年ぶりに行われ、そのときの合格率はわずか4.8%でした。それが今ではほとんどの学生が進学できるようになっています。しかし、いまだに科挙の歴史が残り、各省に入試枠を割り当てるという昔の計画経済の名残りが息づいています。機会はすべからく平等にあるという日本のシステムになじんだ者にとって、中国の入試制度はきわどい均衡を保って存在しているように思えてしかたありません。
文・写真=北京事務所 谷崎 秀樹
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