小雪-鳳凰嶺の紅葉(2018年11月22日 晴れ 最高気温 8℃、最低気温 -3℃)
本年10月25~27日、安倍総理が訪中しました。7年ぶりの日本の総理訪中です。
2012年の尖閣諸島の国有化に端を発した反日デモ以来、日中関係は冷却化し、わたしが北京に赴任した2014年でも、その冷えた状況は続いていました。当時は、第二次大戦で日本軍が中国で悪の限りをつくすTVドラマや映画などが盛んに放映され(いまでも多くありますが…)、そのなかで日の丸は悪の象徴のように描かれていました。そのため、北京をはじめ中国全土で日の丸が一斉に姿を消し、地方の国際貿易展示会などでも、各国の国旗が並ぶなかで、日本の国旗だけはどこを探してもありませんでした。
【天安門にはためく日の丸】(撮影:眞田晃氏)
そんな中国が天安門広場に数多くの日の丸を中国の国旗ととも掲揚しているのです。この情景は、中国人に囲まれてある種の緊張感をもって暮らす駐在員にとって、安心感を与えるものではありますが、一方、長年中国関係に携わり、持ち上げては落とされ、持ち上げては落とされを何度も経験してきた者にとっては、またいつ落とされるかという不安が先にたち、単純に喜べない複雑な心境をかき立てるのです。
同時に、中国のあっという間に上から下まで一斉に変わる、その変わり身の早さには驚かされます。中国では「党中央」という言い方をしますが、最高決定機関である中国共産党中央委員会の意思は、われわれ外国人から見ると不思議なほどの速さで、上から下へと瞬時に伝わるのです。
【鳳凰嶺全景】
北京の秋の晴天の週末、鳳凰嶺(ほうおうれい)のウォーキング大会に参加しました。この大会は北京市のある政府機関が、地元海淀区とともに開催したものです。参加者には、この大会のロゴが入った帽子、ジャケット、さらにはペットボトル1本とサンドウィッチ1袋が入った小さなリュックサックまで配られました。
【鳳凰嶺の入り口】
北京は中国平原の北の端にあり、頭上には蒙古高原に続く山脈がせり出しています。この山脈のとっさき、いわば北京に一番近い玄関口にあたるのが鳳凰嶺です。距離でいえば市内から北西に40kmほど、車ならば1時間半ほどで行けます。
【準備体操をする参加者たち】
鳳凰嶺だけでなく、北京周辺の山々のほとんどは固い岩石でできており、奇岩奇石が裸出しています。岩石ばかりで植物が根を生やすのに必要な土がないため、高木はほとんどありません。あるのは芝のような背の低い植物が岩に這いつくばって生えているだけです。
山のふもとは土があるために高木が育っていて、銀杏やかえでなどもあることはあります。しかし、1本ずつポツリポツリと単独であるだけで、そのうえ栄養が少ないためか葉が小さいのです。そのため、紅葉といっても物足りないもので、全山が燃え上がるような彩(いろどり)となる日本の紅葉が、やはり一番美しいことを改めて思い知るのです。
【ウォーキング大会の開会式】
【始まりました。数本の旗を先頭に長い列ができています】
ウォーキング大会は、準備体操から始まり、偉い人の挨拶があり、若者が打ち鳴らす太鼓の音と共に出発しました。
数本の旗を持った青年たちが先導役となり、偉い人たちを案内していきます。参加者は300人ほどで、先頭の旗につられて、坂を登って行きます。登りながら、写真を撮ったり、おしゃべりをしたり、配られたサンドウィッチを食べたりと、それぞれ好き勝手に行動しますので、人の列は段々と長くなります。
【龍泉寺の銀杏の老樹】
しばらく登ると、龍泉寺に着きました。この寺は鳳凰嶺自然公園のなかにあり、遼朝応歴初年(951年)の創建といわれますので、一千年以上の歴史があります。寺内には同じく樹齢一千年以上といわれる銀杏の老樹がきれいに色づいていました。
【鳳凰嶺の山腹。歩く人もまばらになりました】
龍泉寺を出ると、隊列はバラバラになりました。先頭の旗もどこにいったか影も形も見えません。最初に配られた地図を頼りに歩くのですが、初めて来たところで、地図も小さくて分かりづらいために、道に迷ってしまいました。わたしに限らず、多くの人が迷ったようで、同じ帽子とジャケットを着た人たちが右往左往しています。カギとなりそうなT字路があるのですが、そこには誘導する人も看板もなにもなく、どちらに行ってよいか分からないのです。ついには目標とは反対側の出口を出てしまい、またそこから引き返すなど同じ道を何度も行ったり来たりして、やっと目指すルートにたどり着きました。そのとき、一緒にいった友人がつぶやいたのです。
「中国では隊列から離れると直ぐに迷子になる。党中央の意向のとおりにしないと大変なことになるのと同じです!」
【途中にあった財神廟。財神廟は中国人が大好きなお金をまつったほこらです】
そうなのです。大会の主催者は、帽子やジャケット、食料を配るほど物質的配慮はしてくれたのですが、肝心のウォーキングでは、誘導などはまったく設置せず、偉い人だけに気を配りました。そのおかげで、われわれ参加者は道に迷い、右往左往したのですが、それは、隊列を離れた者の自己責任であり、主催者は一般参加者に必要物資を配った以上、あとは道に迷おうがどうなろうが、それ以上の配慮はしないのです。
【『天梯』(「天への階段」という意味)という岩石の一本道を登る人たち】
中国の人たちは、今回のウォーキング大会のような余暇から仕事を含めた日々の生活のなかで、この面の鍛錬を受けているのです。それが友人の思わずつぶやいた一言であり、党中央の意向が電流のように上から下へと瞬時に流れる秘訣なのです。下の者は、旗の動きを見て、旗が左に行けば、自分も左に行き、旗が右に旋回すれば、自分も右に旋回しなければいけないのです。その動きに乗り遅れて道に迷っても、誰も助けてくれません。「弱者救済」など、平和な国の人がいう言葉であり、この国で暮らすと、原始から続く「弱肉強食」こそ自然のことわりであることを実感させられます。
しかし、日々の鍛錬を受けているわりには、迷子が多いことも、中国の中国たるゆえんかもしれません。
【若い二人が楽しそうに山を下りて行きました】
【鳳凰嶺から北京市内を望む】
文・写真=北京事務所 谷崎 秀樹
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