小寒-老舗の帽子屋-盛錫福(2019年1月6日 晴れ (最高気温 3℃、最低気温 -7℃)
あけまして、おめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
さて、今回は北京の老舗の帽子屋を、写真を中心に紹介します。お正月ですので、気楽にお付き合いください。
【博物館に展示されている周恩来総理の帽子と同じものを30元で買いました】
『盛錫福(せいしゃくふく)』は1911年の創業といいますので、今年で108年を迎える老舗です。
1911年は、中国で辛亥革命が起きた年です。辛亥革命によって、古びた封建国家(清王朝)が終わり、新しい国(中華民国)ができました。この変革は、中国人自身の手によるものですが、その背景にはアヘン戦争から日清・日露戦争など日本を含めた列強の中国進出がありました。この間、列強からは砲艦ばかりでなく洋服や帽子などの西洋ファッションも中国に入ってきます。ハイカラな文明に出会い、国家体制が変わるという溌剌(はつらつ)とした雰囲気のなかで、盛錫福は帽子専門店として天津で誕生しました。その後、1930年代には北京に出店し、新中国になってからも国家の支持を受け、いまでは北京市内だけで6店舗を持つまでに成長しています。
【東四北大街店】
そのうちの1店舗は、昔ながらの街並み(胡同)が続く東四の大通りにあります。この店は東四北大街店といい、帽子博物館が併設されています。
まさに“中国”といった建物には、黒地に金字で店名が彫られた大きな額が掲げられ、額を支える柱には、博物館名と国家級文化遺産の伝承基地であることが誇らしげに書かれています。
【店内】
店内に入ると、当然のことながら帽子が並んでいます。さすがに老舗だけあって、創業当時はハイカラであった帽子や毛沢東が被ったような一時代前の帽子が陳列されています。ほかの客の姿もなく閑散としていて、店員も手持ち無沙汰のようです。お愛想のつもりで、安売りカゴのなかから店名が裏地に刻印された中国チックな帽子を30元(約480円)で買いました。
【帽子博物館の一角。孫文の帽子と後ろに並んだ木箱は清時代の帽子入れ】
店の後ろは博物館になっています。予約の必要もなく、営業時間中であれば、だれでも無料で見学することができます。
上の写真は、この博物館のなかで一番貴重な帽子です。この帽子は孫文のために作られたもので、シベリアラッコの毛皮でできています。ラッコはワシントン条約で国際取引が規制されていますので、お金があっても日本に持ち帰ることはできません。ちなみに、この帽子の価格は12万元(約192万円)とのことです。
【帽子の製造工程と工具の展示コーナー】
こちらは帽子の製造工程と工具を展示しています。盛錫福の毛皮の帽子の製造は50以上の工程があり、一つの工程だけで3年以上の修行が必要とのことです。製造は分業制で、毛皮の選別やなめし、裁断、縫製などのブロックに分かれ、従業員は一つのブロックだけを担当し、ほかのブロックで働くことはないそうです。これはノウハウの流出を防ぐためで、全工程の技術は、いまは第四代伝承者といわれる2名の方のみが把握しているとのことです。
【歴代中国国家指導者のために作った帽子の展示コーナー】
上の写真は、毛沢東、周恩来、鄧小平、江沢民という歴代の国家指導者のために作った帽子を陳列しています。このほか、この博物館では盛錫福の歴史、秦朝以降の中国の帽子の変遷などが展示されています。
【生産工場(こうば)】
博物館の最後部、立ち入り禁止の札があるドアを開けると、まさに裏長屋。北京でもめったに見られなくなった平屋建てが細長く、奥まで続いています。ここが帽子の生産工場(こうば)なのです。普通は公開されていませんが、特別にお願いして見せていただきました。
【毛皮の帽子を作る馬さん】
この平屋は1部屋ごとに区切られていて、博物館での説明のとおり、それぞれの製造ブロックごとに独立しています。写真のおばさんは馬さんといい、毛皮の帽子製造の前半部分を担当しています。もうすぐ定年退職すると嬉しそうに話してくれました(中国の女性肉体労働者の定年は50歳)。
【馬さんと同じ部屋で働く女性】
ここも馬さんの部屋の一角です。部屋のなかはミシンがあり、毛皮や布地などの材料、壁には帽子の型がたくさん置かれていて、雑然としています。
【別の作業場】
馬さんの部屋の隣の作業場にやってきました。こちらの男性は帽子の耳をつけています。我々が入ってきても見向きもせず、一心不乱に針を動かしています。
【縫製作業】
また別の作業場で、4人の女性がミシンを動かしています。先ほどお愛想で買った帽子を被っていたのですが、一人の従業員がその帽子を一目見て、「わが社の帽子ですね」と声をかけてくれました。
「え、よくわかりますね」とびっくりしながらいうと、
「わたしたちが縫ったから分かりますよ」と笑いながら答えてくれました。
たった30元の自腹ですが、相手をなごませることができ、珍しい工場(こうば)も見ることができ、大満足の1日でした。
【王府井の盛錫福】
東四の博物館で、盛錫福が北京で一番最初に出店したのは王府井で、いまでも店があると聞きました。そうと聞いては行かざるを得ません。地下鉄1号線の王府井駅を降り、新華書店を越えて、信号を渡った目の前に盛錫福がありました。まさに王府井の入り口といった場所ですが、これまではまったく気付きませんでした。場所柄でしょうか、この店は東四店と違って来客が多く、繁盛しています。
いま日本では「コモディティ化」の危険が叫ばれているそうです。コモディティとは企業間の競争や技術レベルの向上によって、どれも似たような製品となり、消費者からみてその優劣や価格などの違いがなくなることをいうそうです。
一方、経済成長が著しい中国でも日本のあとを追うように、なんでもかんでもローラーですりつぶして背丈の同じどんぐりにして安心を得るという「コモディティ」に向かってまっしぐらに突き進んでいるように見えます。
そのためでしょうか、それとはまったく逆の場所で、頑固に自分の製品を守り続けている盛錫福のような老舗が貴重に思うのです。
文・写真=北京事務所 谷崎 秀樹
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