春分-最終回(2019年3月21日 晴れ (最高気温 12℃、最低気温 0℃)
今月末で帰任することになりました。これまでお付き合いいただきました読者の皆様には、心から感謝申し上げます。
最終回のため、北京の四季の移り変わりを速足ではありますが写真を中心に紹介いたします。
【天安門広場東側の道路】
春。
どこの国でも同じでしょうが、冬が厳しい地域に暮らす人々にとって、春は本当に待ち遠しいものです。北京では3月初旬に梅の花が、中旬には桃の花が咲きます。桃の花とともに柳が一斉に緑の葉をつけ、レンギョウ(連翹。モクセイ科の落葉低木)の黄色い小さな花が満開になります。3月下旬には玉蘭(モクレン科の落葉高木)や桜が美しい花を咲かせます。人々は暖かくなるにしたがい厚手のコートを脱ぎ、軽いものに着替えて外出し、沈んだ灰色から緑や黄の明るい色に変わった街を満喫するのです。
【三輪車の植木屋】
3月には黒い幹に黒い枝しかなかったエンジュ(槐。マメ科の落葉高木)が、5月には青々とした緑の葉を茂らせます。元気に葉を伸ばした植木を満杯に載せて三輪車を漕ぐおじさんもなにやら楽しそうです。
【朝の一コマ。朝陽門南小街にて】
写真の太ったおじさんが買っているのは油餅といって、小麦粉を練って薄く楕円形に伸ばして揚げたもので、北方地方でよく食べられます。左下の鍋のなかに小さく見えるのは油条といい、同じく小麦粉を練って棒状にして揚げたもので、中国全土で食べられます。豆乳を飲んだり、漬けたりしながら油餅や油条を食べる、或いは粥をすすりながら包子(肉饅頭)を食べる、これが中国の人たちの一般的な朝食スタイルです。朝から油物とは、聞いただけで日本人には胃もたれしそうですが、これこそ中国の人たちの元気の源なのです。
【地下鉄建国門駅の出口にて】
初夏。
地下鉄を出ると突然の豪雨。北京でもスコールがあり、20~30分もすれば、先ほどの滝のような雨がうそのようにからりと晴れ上がります。市内の地下鉄の出口には、オート三輪や人力車がいつもたむろしています。写真は雨の時こそ稼ぎどきとばかりに一生懸命に客を誘っているおばさんの姿です。このあと待ちきれなくなった一組の家族連れが乗っていきました。北京ではスコールが降るごとに暑さが増し、真夏へと近づいていきます。
【くだもの屋にて】
真夏。
北京は水がまずいこともあり、スイカが欠かせません。中国ではスイカは年中ありますが、暑くなるに従い、安く、美味しくなります。写真のポップは、「西瓜」がスイカのことで、「1.45」=約23円/500gと安さを宣伝しています。
【夕焼けに包まれた司馬台長城】
夏休みとなれば観光。
北京の真北、河北省との境にある司馬台長城は1987年に世界遺産に登録されました。今ではふもとの古北水郷を含めて観光地として整備され、国内外から多くの来客を集めています。ここの特色の一つは、夜にロープウェイで長城に登ることができることです。夕暮れ時、長城の頂に立つと、周囲の山々が日の傾きにつれて真っ赤に燃え上がります。夕焼けが燃え尽き闇があたりを覆うと、眼下に見える古北水郷が明るい光で輝きはじめ、城壁に置かれたライトが一つの線となって、長城を浮かび上がらせるのです。
【景山公園にて】
初秋。
景山の麓、残暑の厳しい日差しをさえぎる木々の下で、新疆風の踊りを踊っている人たちがいました。新疆といえば、中国政府との対立という図式で日本では報道されています。その全てが間違っていると言うつもりはありませんが、北京のど真ん中でこのように楽しんでいる人たちがいることを知って頂きたいと思います。簡単な図式だけで物事を言い尽くせるものではありません。
【リヤカーで梨を売るおばさん 留学路にて】
実りの秋。梨が美味しそうです。
写真は留学路での一コマ。留学路といっても留学とは全く関係がありませんで、昔はここに屠殺場があったために牛血路と呼ばれました。さすがに牛血路では縁起が悪いということで、似たような発音の留学という言葉に替えたそうです。
【北京ダックの窯 全聚徳前門店にて】
食欲の秋。北京の食べ物といえば北京ダック。
北京ダックの伝統的な焼き方は二つあります。一つは全聚徳の直火(じかび)焼きです。写真にあるとおり、全聚徳の窯には扉がなく、職人が窯のなかを直接眼で見ながらダックを加減よく動かして焼き上げます。もう一つは便宜坊の熾火(おきび)焼きです。こちらは窯に扉を設けて密封状態にし、熾火のなかでダックを蒸し焼きのように焼き上げます。北京の人でも、どちらか一方の強烈なファンもいれば、どちらもよいという人もいます。好みは人それぞれ。機会があれば、皆様も食べ比べてみてください。
【路上に置かれた山盛りの白菜】
初冬。
写真は2014年11月に撮ったものです。数年前まで、中国北方では冬を越すために白菜は欠かせないものでした。当時は白菜を山盛りにしたトラックが市内を走り、写真のような白菜売りをあちこちで見かけたものです。しかし、ネット通販や栽培技術が発達し、いつでもなんでも簡単に買えるようになった今の北京では、この白菜売りも過去のものになりました。
【頤和園昆明湖のほとりに建つ銅牛】
真冬。頤和園の昆明湖も一面凍りました。
昆明湖の東岸、十七孔橋のほとりに建つ銅牛は、湖沼を鎮め、庶民の幸福を願って、乾隆二十年(1755年)に建てられました。さらに言い伝えでは、中国の牽牛・織女(日本の彦星・織姫)伝説の牽牛なのだそうです。そう聞くと、彼の後ろ姿は二世紀半以上にわたり湖をじっと見つめながら織女を探しているようにも思えてきます。
【故宮の角楼】
第1回(2016年6月22日夏至)から今回まで、2年9ヶ月に亘り67篇のコラムを紹介して参りました。長い間続けることができましたのも、ひとえに読者の皆様のおかげです。ここに心から感謝申し上げます。
この間、仕事(コラム執筆は本業ではありません。念のため…)をこなしながら1ヶ月に2篇の掲載を休みなく続けることは、結構しんどいものがありました。それを見かねた眞田晃氏が協力を申し出ていただき、『2018年9月8日白露』をはじめ4篇をご執筆いただきました。慈雨とはまさにこのこと、この場を借りて、眞田晃氏に厚く御礼申し上げます。
そして、日中投資促進機構の皆さま、特に、北京で一緒に働いた李冶さん、邢恕平さん、田元百合子さん、村田雄亮さんには、取材への同行をはじめさまざまにご教授、ご助言、ご協力をいただきました。本当に有難うございました。
当初、日中関係が悪化するなか、北京の人たちの暮らしぶりを少しでも紹介したいという気持ちで、このコラムをはじめました。その目的が達成できたかどうか、小生は全く自信がありませんが、読者の皆様には忌憚のないご意見・ご叱責をお寄せいただきたいと思います。
小生個人としては、このコラムを通じて、報道などでイメージされる中国人像とは異なり、ほとんどの中国人は礼儀正しく、一生懸命に生きていることが分かりました。報道に頼るだけでなく、実際に行って、見て、話をすることの大切さを改めて感じます。同時に、北京の人たちの習慣や考え方など沢山のことを知り、学ぶことができ、充実した駐在生活を送ることができました。さらに書くことの楽しさを発見することもできました。これらが小生にとって一番の収穫であり、大きな宝物で有ります。
最後に、日中の相互理解がよりよく進むことを願って、終わりとさせていただきます。ありがとうございました。
文・写真=北京事務所 谷崎 秀樹
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★本コラムについてはこちらから→【新コラム・北京の二十四節気】-空竹-
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