●立冬-金山嶺長城その2-(2016年11月7日 曇りのち晴れ 最高気温 11℃、最低気温 2℃)
立冬です。あっという間に冬になった感があります。北京では少なくなりましたが、道に白菜を山積みにして売る光景が見られるようになりました。今年は例年に比べ寒く、道行く人たちは厚手のコートを着、マスクを付けています。
さて、前回のコラムで、金山嶺長城と農民写真家の周万萍氏を紹介しましたが、今回もその続きです。
前回、金山嶺長城のなかで、ふもとから長城の正面玄関(中国語では「磚垜口」)を左に曲がり、将軍楼から沙嶺口を回って、ふもとに下りて、ちょうど2時間とお話しました。
しかし、長城は沙嶺口からまだまだ続きます。沙嶺口から更に進みますと、小金山楼、大金山楼に着きます。小金山楼からはふもとまでゴンドラがあります。更に進むと後川口で、ここからもふもとに下りる道があります。更に進むと花楼、東五眼楼に着き、司馬台長城へとつながっています。
沙嶺口を過ぎたところで、道端に商品を並べただけの簡単な店を開いている人がいました。よく見ましたら、先ほど会った周万萍氏に似ているのです。
彼は、道行く観光客に声をかけています。西洋人であれば、「Ice Beer! Ice Water!」と手慣れた英語で声をかえ、中国人にも同じように呼び込みをしています。実は先ほど会った周万萍氏も、写真集を2冊出すほどの大家でありながら、全く同じ口ぶりで呼び込みをしていたのです。
ちょうど昼時でしたので、私は持ってきたパンとおにぎりを食べながら、彼の隣に座って話をしました。思ったとおり、彼は周万萍氏のお兄さんでした。
お兄さんは「ビールを売っている」というより、「自分で飲んでいる」と言ったほうが正しく、写真にあるとおり、脇に2本の空瓶が既に立っています。私は持ってきたおにぎり一つを彼に渡そうとしました。すると、彼は丁寧に断りながら、3本目のビールを開けたのです。ビールが主食のようです。私が頼みますと快くポーズをとり、ビールを飲んでいるところを撮らせてくれました。
お酒が入って、ほど良く酔いが回り、彼は饒舌となって、いろいろ話をしてくれました。
「今日のビールは5本くらいかな。あまり暑くないので進まないがね。暑いときは10本くらいいくかなあ。朝から白酒を飲みときもあるがね。」
「うちの兄弟は6人、男が4人で女が2人。俺が長男で、次が周万萍さ。三男と四男は馬を持っているんだぜ。」
「昔は、山の木を切り、畑を作ったのさ。山のなかだから、水が無い。だから、植えていたのは、コーリャン(中国語「高粱」)と豆類さ。
コーリャンを知っているかい?今は白酒の原料か飼料だがね、昔はそれを粥にしたり、煮たりして食べたんだよ。飼料じゃ、美味しいわけないよな。畑は、今はもうやっていないんだ。」
「男兄弟4人で、俺と万萍と四男が農民民宿をやっているんだ。3人合わせて100人まで泊まれる。春夏のシーズンには、満員になるときもあるんだぜ。あんたも泊まりにきてくれよ。」
「俺たちはずっと長城で働いてきたのさ。金山嶺が開放されてから、お客さんの荷物運びをしたり、長城の案内をしたのさ。10年くらい前はたくさんの日本人が来たよ。“西岡”という名前を覚えているよ。親切な人だったな。」
「万萍は9歳のとき、有線放送の電線と高圧電線が接触して火が出て、あいつはその火を止めようとして、電線に触って、大怪我をしたのさ。普通の病院じゃあだめで、軍の病院に入ったんだが、2年間ずっと入院していたんだ。」
「万萍は大怪我の後遺症で、力仕事が出来なくなった。その頃は力仕事が出来なければ半人前さ。あいつはすごく悔しがった。そんなときさ、俺があいつに写真っていうのがあるよって教えたのさ。」
「そうしたら、あいつはこつこつお金を貯めて、カメラを買って、それを持って、夜も山に泊まり込んで、帰ってこないのさ(注:現在金山嶺での野宿は禁止されています)。本当に一生懸命写真を撮っていたよ。最初は日本の写真コンクールに入賞したのさ。それからトントン拍子。今じゃ、あいつは屋根つきの立派な店で、俺は屋根なしのこんなところさ。」
「しかし、あいつのおかげで、金山嶺が有名になって、沢山の人が来て、民宿にも泊まってもらうようになった。本当はあいつに感謝しているのさ。」
「どこまで行くんだい。後川口の先は急だから、気をつけなよ。」
文・写真=北京事務所 谷崎 秀樹
★本コラムについてはこちらから→【新コラム・北京の二十四節気】-空竹-
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