●寒露(2016年10月8日 晴れ時々曇り 最高気温 19℃、最低気温 5℃)
寒露は、秋の季節ではありますが、“寒”と言う字が表すとおり、気候が寒くなり、外の露が冷気で凍る様子を指します。実際に北京では、昼間の気温が20℃を切り、最低気温は5℃と冷え込んで来ました。
前回“中秋の名月”を紹介しましたが、今回も“月”にちなみ、“月のひかり横丁(月光胡同)”を紹介します。
まず、“胡同(hu tong)”とは何かといいますと、ただの横町・通りのことなのですが、広い中国でも北京の、それも旧城内(現在の第二環状線)のなかだけで使われている地名を指す言葉で、手を加えられていない昔からの通りの両側には、枝を大きく伸ばしたえんじゅの木と中国の伝統的な建物である四合院が建ち並び、北京の歴史を今に伝えています。
なぜ、北京だけで“胡同”という名が使われているかといいますと、遊牧民であるモンゴル人が中国を征服したからです。日本でも有名なチンギス・カンは1204年モンゴル帝国を興し、彼の孫で第五代モンゴル皇帝であるクビライは南宋を攻略しつつ、1264年から冬の都として“大都”の建設を始め、1271年には国号を元と定めました。この“大都”が現在の北京の前身なのです。
「冬の都」と聞きますと、時として最高気温が氷点下となる北京の厳しい冬を知る者として違和感を覚えますが、“夏の都(当時は“上都”と呼ばれていた)”が北京から約450km北上したモンゴル高原の中(現在の内蒙古自治区錫林郭勒盟正藍旗)にあり、そこの寒さと比較すれば、モンゴル皇帝クビライにとっては、北京が冬でも暖かいと感じたことと思います。ちなみに、錫林郭勒盟では、一昨日から雪が降り、最も寒い1月には氷点下20℃まで下がるそうです。
遊牧民であるモンゴル人が天下を取り、新しい都を建設したわけですから、その通りの名前もモンゴル人が付けたはずですが、“胡同”の語源は、はっきりしないのです。例えば、モンゴル語の「井戸」という言葉からとか、「都市」という言葉からきたとか、いろいろな説が言われています。また、モンゴルは中国全土、つまりは中国の全ての都市を征服したわけですが、なぜ“胡同”が北京だけで使われているのかもよく分かりません。
この神秘的な“胡同”は、北京の人たちにとって、生活の場であり、故郷であり、また、その長い歴史と北京のみという独自性から自慢のたねでもあります。そして、現在では観光名所としても、脚光を浴びています。
“胡同”の数は、元朝のときの400余から、明朝、清朝にはどんどんと数を増やし、終戦前の1944年には3,200まで増えました。しかし、現在は道路の拡張や区画整理が進んだ結果、1,000未満に減っています。
この1,000未満の“胡同”ですが、名前がとても個性的です。例えば、金魚胡同、甘雨胡同、柏樹胡同、演楽胡同、灯草胡同など、なかなか味があります。味といえば、羊肉胡同、炒面(焼きそば)胡同など食べ物にちなんだものもあります。これらの胡同については、機会をみて紹介していきたいと思います。
さて、“月のひかり横丁(月光胡同)”ですが、この“胡同”は、“東四六条”と“東四七条”を南北につなぐ、長さ100m余、幅は行くほどに細くなり、くの字の曲がりがある普通の路地です。
“東四(dong si)”は、昔、十字路の四面にそれぞれ牌楼があったために「東の四つの牌楼がある所」として、人々から呼ばれました。そのため、“東四六条”を正式に言うとしたら、『東の四つの牌楼がある所の6番目の通り(中国語では「東四牌楼第6条胡同」』となり、大変長ったらしく、言うのが面倒なために、簡便な言い方として、“東四の6条”が一般化しました。なお、牌楼とは、中国式の豪華な門のことです。東四の牌楼は、残念ながら、1954年に交通の障がいがあるとして撤去されました。
この“東四の6条”を歩いて、偶然に“月光胡同”を見つけて、写真を撮っていましたら、歯の欠けた陽気なおばあさんに声をかけられました。
「この胡同の名前を知っていますか?」
と聞きますので、胡同の名前の書いた標識を指しながら、
「“月光胡同”でしょう。」
と答えますと、
「いやいや違います。この胡同は昔“娘娘廟胡同”と言ったのよ。」
と、自慢そうに言うのです。
日本語では、“娘”は若い女性ですが、中国語では、母親とか年長の婦人という意味で、逆になります。そして、娘が“娘娘”と二つ重なると、道教の女神という意味になり、“娘娘廟胡同”は、“女神神社通り”となります。
実は、「!?」なのです。
おばあさんの話を戻ってから調べてみますと、“月光胡同”は昔からこの名前で呼ばれており、“娘娘廟胡同”と呼ばれたとの記録が無いのです。そして、北京には、別の離れた場所に“娘娘廟胡同”があるのです。
おばあさんの記憶違いか、或いは、この近くに“娘娘廟”という祠(ほこら)があったのか、本当のところは今となってはよく分かりません。
やはり“胡同”には、摩訶不思議なものがあります。
文・写真=北京事務所 谷崎 秀樹