●霜降(2016年10月23日 曇り後晴れ 最高気温 15℃、最低気温 5℃)
霜降は、秋の最後の節季で、露が凍って霜になる時期を指します。北京では、寒くなるに従い、空気汚染が酷くなってきました。先週からは空気の悪い日が続き、3日ほどは重度汚染となりました(10月14日PM2.5が242、15日同187、19日同225)。これから寒さと空気汚染の過酷な冬を迎えます。今回の写真は空気の悪い日に撮影したため、霞んだものが多くなってしまいました。これも北京の空と、ご理解頂ければ幸いです。
さて、本コラムの熱心な読者の方から、「万里の長城を紹介して欲しい」というおたよりを頂きました。有り難うございます。リクエストにお応えして、今回は「万里の長城」を紹介させて頂きます。
万里の長城は、中国が誇る世界最大の建造物です。しかし、万里の長城の歴史をみれば、中国平原地帯において農耕を主とする人々にとって、万里の長城は「屈辱の代物」とも言えます。
殷、周(紀元前17~8世紀)といった途方も無い大昔から蒙古高原に住んでいる人たちがいました。匈奴や鮮卑など時代によっていろいろな呼び方がありますが、今でいうモンゴルの人たちです。彼らは遊牧を生業(なりわい)として、馬、牛、羊といった動物達と暮らしていました。しかし、彼らは生きるうえで欠かせない炭水化物を作っていませんでしたので、それを作っている者から買わなければいけませんでした。そのため、彼らは、馬、牛、羊、そして岩塩を持って南下し、中国平原地帯の農耕民からそれらを穀物と交換したのです。この交換場所が市となり、時代を経るごとに大きくなり、集落、都市へと発展していきました。
北京も交易場所として誕生したのです。地図を見て頂くと分かりますが、北京は、モンゴル高原から見れば東南の一番端の山を下りた直ぐのところにあり、中国華北平原から見れば平原を北上した一番の端にあります。この両方を結びつける絶好の場所が北京だったのです。
遊牧と農耕、それぞれの地域が大きく成長するなかで、平和な時代には、交易は順調に行われていましたが、一旦ことが起こり、農耕側が交易を拒否する事態になりますと、生死にかかるモンゴル側としては、武力に訴えざるを得なくなります。そのうえ、モンゴル側の武力は凄まじかったのです。
モンゴル高原に住む人たちは、遊牧民であり、兵士全てが馬に乗れますから、移動、闘争ともに、絶大な威力を発揮します。そのため、平原の農耕民は、経済が充実したときや新しい兵器が開発されたときでないと、対抗する術を持たなかったのです。
現在、北京郊外に残る八達嶺、慕田峪をはじめとする数層の長城は明代に築かれたものです。
1368年、明はモンゴル人の国家である元を、当時の華北、華中地域から追い出しました。明は建国当初は対外進出に積極的でしたが、次第に退嬰的になります。1449年、若き皇帝正統帝が明軍50万人を率いて大同から帰る道すがら、モンゴル軍(当時はオイラット帝国)の攻撃に遭い、木っ端微塵に粉砕され、皇帝自身は捕虜になるという大事件が起こりました(土木の変)。この決定的な事件によって、明は対外進出策を捨て、モンゴルに対して低姿勢になります。同時に、北京の防衛のために、北京周辺に長城を築いたのです。「来ないで呉れ!」と、農耕民の悲痛な叫びが聞こえてくるようです。
今回は、北京の長城のなかで、とても美しいと話題になっている“金山嶺長城”を紹介します。
金山嶺長城は、北京市内から約130km、北京市と河北省との境にあります。ふもとには数軒のみやげ物屋と立派な入場ゲートがあります。ここから坂道を登り、金山嶺長城の正面玄関というべき広い広場と大きな城壁(中国語では「磚垜口」)に着き、長城は左右に連なっています。ここから左にコースを取り、将軍楼から沙嶺口までいろいろな傾斜の坂を上り下りして、ふもとまで下ると、ちょうど2時間、これが一般的なコースです。
写真の右のしっかりした建物が将軍楼、左の旗が建っている小さな建物が軍事指揮所といいます。この小さな建物に農民写真家である周万萍氏がいます。彼は1965年金山嶺のふもとの村で農民の子として生まれ、9歳のときに、事故により右手と左足に大怪我を負いました。中学校を卒業して、金山嶺長城の修復作業に参加し、21歳のときに、初めて上海海鴎製の中古カメラを買い、観光客に写真撮影を行う商売を始めました。その後、独学で写真の勉強をしながら、彼にとっては小さい頃からの遊び場所であり、自らの大地とも言える長城の撮影を始めました。27歳のときに初めて写真コンクールに入賞し、その後、数々の賞に輝き、写真集を2冊出版、今では、大家ともいえるほどの人物になっています。
彼がいつもいる軍事指揮所には、彼の写真集や作品のほかに、飲み物や食べ物も置いてあり、観光客相手の小さな売店となっています。私が訪ねた日、彼は多くの観光客が立ち寄る忙しい合間をぬって話をしてくれました。
「長城は白黒が似合う。」
彼の写真は、長城と空、雲、虹、雷などを題材とするものが多く、カラー写真が得意かと思っていましたが、今は白黒に魅了されているとのことです。
「良い写真は見れば見るほど飽きが来ない。普通の写真は直ぐ飽きてしまう。」
なかなか厳しい言葉を聞き、自分の写真に恥じ入るばかりでした。
文・写真=北京事務所 谷崎 秀樹