小雪-鹵煮火焼-(2016年11月22日 晴れ時々曇り 最高気温 0℃、最低気温 -9℃)
今年、北京の初雪が一昨日の夜から昨日の朝まで降りました。北京では雪が降った翌日は寒くなるといわれています。本当に今日は最低気温が-9℃、最高気温でも0℃で、外を歩いていますと顔が痛くなるほど寒い一日となりました。こんな寒い日ですので、今回は温かい料理を紹介します。
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【大鍋の左側に沢山浮かんでいるのが“火焼”】
この写真は、北京にしかない独特の食べ物を煮ている直径70~80cmほどある大鍋です。食べ物の名前は“鹵煮火焼(Lu zhu huo shao)”と言いまして、北京の庶民の食べ物です。
この大鍋から、調理人が注文されたメニュー(メニューといっても、大盛りとか普通盛りとかですが)に沿って、具を素手かコテで取り出し、食べやすい大きさに切り、椀に入れて、スープを注いで、“鹵煮火焼”、一丁上がりとなります。ちなみに、写真は、“小腸陳”という北京っ子ならば、誰でも知っている店の大鍋で、若い調理人は素手で具を取っています。
この料理は、一つの椀に、豚の内臓、火焼、揚げ豆腐、スープが入っています。
まず、豚の内臓は腸、心臓、肺、肝などです。これらをきれいに洗い、下茹でしてから、大鍋に入れます。この下茹でしてから煮ることを、中国語では“鹵”と言います。
“火焼”は“日焼け”ではありませんで、小麦粉を練って丸い形にし、発酵させずに焼いたものです。北京っ子に言わせますと、“火焼”は固くないとダメで、固い“火焼”が椀のなかで、熱いスープを少しずつ吸って、外は柔らかく、中はまだ固いといったものは、想像しただけで食べたくなるそうです。
揚げ豆腐は、日本の白い豆腐ではなく、干したしわくちゃな豆腐を揚げたものです。
スープは、豆豉(トウチ)という豆類の発酵食材と腐乳(フウルウ)という豆腐の発酵食材をベースとして、内臓の臭みを消すために、それぞれの店が香料に工夫を凝らしています。
豚の内臓ですから値段も安く、一つの椀を食べれば、タンパク質と炭水化物を一度に摂る事ができる簡便なものですので、昔は人力車夫など肉体労働者をはじめとする最下層の人たちの食べ物でした。
【11月21日朝、雪のあとに撮影】
さて、北京には庶民の味方である“鹵煮火焼”を販売する食堂は沢山ありますが、超有名な“小腸陳”に比べますと、ちょっとマイナーな“楊老黒鹵煮”を紹介します。
この写真は店の入り口に掲げられている看板です。中華民国二年(1913年)、つまり、清朝が滅び、孫文や袁世凱等の軍閥による新しい政権が出来た翌年という中国が混沌とした時代に、“楊老黒鹵煮”は北京前門の駅前で営業を始め、今では百年以上の歴史があることを示しています。
この看板には、“楊記鹵煮小腸”とありますが、1984年に個人経営が認められた際、はしっこい者が先に商標登録を行ったために、“楊記”の名前を使うことができず、仕方なく今の名前にしたそうです。
写真のおじいさんが、この店の四代目の楊東さんで、今年75歳になられます。
楊おじいさんは、この店で生まれ、この店で働き、今では子供達に店を譲っていますが、寒いときも暑いときも一年中、店の前に座って、店番をしています。お客さんが食べ終わって、店を出るときに「美味しかったよ」と声をかけると、おじいさんはうれしそうに手を挙げて応えてくれます。
「うちの“鹵煮火焼”は、同仁堂(清朝宮廷にも出入りしていた由緒ある薬店)の漢方薬を臭み消しに使っているんだ。だから、最初にスープを飲んでから食べるといい。」
最後に、“鹵煮火焼”は、日本人の皆さんのお口に合うかということですが、内臓料理ですから独特の臭みがありますので、最初食べたときは、“変”に思われるかもしれません。しかし、二度三度と重ねるうちに、癖になってくるのです。食べ慣れてきますと、月に1回程度は無性に食べたくなります。一種の中毒作用があるのかもしれません。
皆さん、北京にお越しの際は、この中毒作用があるかもしれない“鹵煮火焼”をお試しいただければ幸いです。
小腸陳飯庄(南横街店):北京市西城区南横東街194号
楊老黒鹵煮:北京市西城区天橋北緯路45-14
文・写真=北京事務所 谷崎 秀樹
★本コラムについてはこちらから→【新コラム・北京の二十四節気】-空竹-
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