●秋分(2016年9月22日 曇り 最高気温26℃、最低気温18℃)
秋分の日、日本は祭日ですが、中国では前の週9月15日から三日間が中秋節でお休みでした。中秋節は、中国の人にとって、旧正月に次ぐ大切な祭日です。毎年の旧暦8月15日が中秋節で、1ヶ月ほど前から月餅の販売が始まります。当日は家族一緒に月見をして、一家の幸福が祈るのが一般的です。
写真は、北京の中秋節の月です。日本の皆さんは、マスコミの影響もあり、北京はPM2.5で空気が汚いと思われているでしょうが、毎日汚いわけでは、決してありません。通常燃料を燃やす冬に空気が汚くなりますが、冬に入る前の今年の秋は、8月末から半月ほど晴天が続き、空気も昨年に比べて明らかにきれいになっています。
今年の中秋節当日は、昼間は曇りがちでしたが、夜になると美しい月が上がりました。この美しい中秋の名月をお見せしたかったのですが、残念ながら、私の撮影技術の未熟さと撮影機材の限界のため、すこしかすんだ月になってしまいました。今後精進しますので、お許しください。
さて、日本では、「月にはうさぎがいて、杵(きね)を持ち、臼(うす)をついて、餅を作っている」と言われています。中国でも月に兔が住み、杵を持ち、臼をつくことまでは、日本と同じですが、作っているものが違います。今回はこの月の兔について紹介します。
中国の明朝末(400年ほど前)の頃、一つの伝説が北京で生まれました。
ある年、北京城内で、疫痢が流行し、全ての家の者が感染するという悲惨なことになりました。月に住んでいる嫦娥※がそれを見て、彼女の召使の玉兔(月の兔)を地上に遣わしました。玉兔は最初少女の姿になり、人々に薬を与えます。その後、様々な職業に身を変え、男にも女にもなり、馬、鹿、虎、象等にも乗って、あらゆる所を走り回り、多くの人々を救い、月に戻ったのです……。
※嫦娥=じょうが、中国神話のなかの美貌の女性、夫が持っていた不老不死の薬を盗んだ、或いは飲まされた(伝説によって言い方がいろいろある)ことにより、月に住み着いたと言われる。
この玉兔をしのび、作られるようになったのが、“兔爺(tu ye)”と呼ばれる泥人形です。大暑の項でも紹介しましたが、中国語では“爺”と言っても、お爺さんというより、“兔さん”という意味です。
昔の北京では、中秋節と春節(旧正月)に、この“兔爺”をお供え物として、幸福を祈るという風習がありました。しかし、1966年~1976年まで10年間続いた文化大革命の際、この“兔爺”も旧文化、旧風俗の一つとして攻撃の対象となり、姿を消しました。北京の多くの方に聞いても、ほとんど異口同音に、「“兔爺”という言葉は聞いたことがあるが、その人形は家には無い。見たこともない」と言うばかりです。
しかし、経済発展に伴い、21世紀に入る頃から、北京を舞台にした伝説から生まれたキャラクターとして、“兔爺”は北京の繁華街で売られるようになりました。
この青年は、範と言います。「青年」と言ってしまいましたが、1984年生まれで、今年はもう32歳です。場所は“吉兔坊”という“兔爺”の製造と販売を手がける会社の展示・即売室です。
範青年は、安徽省出身で、地元の高校卒業の後、深センで働いていましたが、絵を描くと言う夢を捨てきれず、会社を辞めて、2010年、上京し、北京「宋庄画家村」で師に巡り会い、“吉兔坊”で“兔爺”を作るようになったとのことです。
「このような伝統文化は規模が小さく、給与も低いために、本当に好きでないと続けていけません。文革で一度消えた“兔爺”ですが、我々の師匠達によって復活できました。これからは、“兔爺”をもっともっと広めていきたい。若者に買って貰えるように、改良を加え、リニューアルしていきたいです。」
まじめな彼らしく、静かななかにも熱い思いを話してくれました。
吉兔坊で買った“兔爺”です。向かって左の“兔爺”は昔ながらの伝統的なもの。“兔爺”は人を救わなければいけないので、眉は山のように盛り上がり、口はへの字に曲がり、真剣で険しい顔になっています。右側の一対は現代風にリニューアルされたもので、顔も可愛く描かれています。
最後に、中国の月の兔が作っているものは何かというと、皆さん、もうお解かりになったかと思いますが、答えは“薬”です。
写真の“兔爺”は範青年の師匠の作品です。右下の兎にご注目下さい。杵を持ち、臼を突いています。
吉兔坊展示・即売室:北京市東城区光明路乙12号 京城百工坊2階
★本コラムについてはこちらから→【新コラム・北京の二十四節気】(夏至2016/06/22-空竹)
★過去掲載分:
立秋2016/08/07-王府井
大暑2016/07/22-膀爺(bang ye)
小暑2016/07/07-大清花の餃子
夏至2016/06/22-空竹