寒波の底と予報された二月の三連休の最終日、午後の200分をBSシアターで『ドクトル・ジバゴ』と過ごした。山口県徳山市で独り暮らしの高校一年の一学期、テアトル徳山で見たのがご縁の始まり。その後、大阪の四条畷町の高校に転校して、級友が行き方を教えてくれた梅田の旭屋書店でペーパーバック版の原作を買った。
原作といってもパステルナークが綴ったロシア語版は存在せず、英語に翻訳されたものだった。その英語版を読むことにも往生した。奥付に、イタリアの出版社が世界での版権を持つと書いていたことを深い意味も分からず読み流した。その後は、祇園会館・京一会館や毎日ホールで『ドクトル・ジバゴ』やラーラ役のジュリー・クリスティの『遙か群衆を離れて』『恋』などを追いかけた。
中国に頻繁に出張するようになってからは映画と疎遠になった。1980年代前半の中国では長距離列車移動が中心であり、夜行列車の車内では頼みもしない音楽や漫才が一方的に流されていた。煩わしさを感じたのは初めだけで、慣れてしまえば読書や昼寝の邪魔にはならなかった。『ドクトル・ジバゴ』挿入曲「ラーラのテーマ」のバラライカの調べが列車内で頻繁に流れることにも気付いた。
モーリス・ジャールの曲が良いのは確かで、小樽オルゴール館でも「ラーラのテーマ」を装着した商品が多かったことを憶えている。しかし、小樽ではなく中国の公共の場所で流れていることに違和感を覚えた。自分以外の全ての中国人乗客が何のこだわりもなく談笑していたことにも軽い驚きがあった。
ソ連時代、パステルナークは反政府的存在として監視され、その作品『ドクトル・ジバゴ』は発禁扱い、極秘にイタリアの出版社に渡った後に世界的なベストセラーとなり、1958年ノーベル賞文学賞受賞(ソ連当局の指図で受賞辞退)、1965年に映画化という流れ。
この奇貨ともいうべき流れを千載一遇の好機として動いたのが、アレン・ダレス長官以下の米国中央情報局(CIA)の諜報員たち。自国がいかに抑圧的であるかをソ連国民に知らせるため、ロシア語版を秘かにソ連に広めるプロパガンダ戦略(1949年~1959年)の内実を描いた『あの本は読まれているか?(The Secrets We Kept)』Lala Prescott著、吉澤康子訳、東京創元社。刊行された2020年に拙文に綴ったが、今回もう一度映画を観たあとにもう一度読んだ。従軍医師のジバゴと看護婦のラーラが再会し愛惜し、離別した場所は第一次大戦末期、ロシア革命混乱期のウクライナ戦線のようだ。
アレン・ダレスCIA長官の兄ジョン・フォスター・ダレスの名は日米安全保障条約とともに戦後の日本の方向性に大きな影響を及ぼしたことで知られる。1958年8月23日、中国人民解放軍が金門島に砲撃を開始した際に、米国は国務長官の兄ダレスを台湾に派遣し事態の収束を図った。10月23日に「蒋介石=ダレス共同コミュニケ」が発表された。それ以降、砲撃戦は奇数日に厦門から解放軍が、偶数日に金門島から交互に撃ち合う状態に落ち着いたという。水面下で弟ダレス長官指揮下のCIAも暗躍したであろうが、現在に続く台湾海峡のフレームは兄ダレス国務長官が形成したとされる。
上記コミュニケは、「大陸反攻放棄声明」として広まり、それは大規模な戦争へのエスカレートを望まぬ国際社会からの支持を得ることとなった。またそれは台湾自らの関心を軍事から経済へと向かわせ、後の経済発展に貢献したと評価される、との一般論について『大陸反攻と台湾 中華民国による統一の構想と挫折』(2021・名古屋大学出版会)の第二章の冒頭に、従来の定説であった一般論や見解に対して、著者の五十嵐隆幸氏は実に緻密な検証を加えつつ、果たしてそうだろうか?という見方から、国民党の反攻・祖国統一への構想と行動を米国が同意せず抑制した経緯を分析している。
第1章 大陸反攻の起源とその展開 1949~1957
第2章「蒋介石=ダレス共同コミュニケ」と大陸反攻 1957~1960
第3章「攻勢作戦」の限界と「攻守一体」への転換 1961~1969
第4章 ニクソンの中国接近と蒋経国への権力移行 1969~1972
第5章「予想される対米断交」と蒋介石死後の大陸反攻」1972~1978
第6章 蒋経国の総統就任と米華相互防衛条約の終了 1978~1983
第7章 大陸政策の再定義と大陸反攻任務の解除 1984~1991
終章に続く「あとがき」が味わい深く、参考文献リストは膨大だ。「内戦」が「冷戦」に取り込まれていく過程を知ることと両岸及び米国の当事者が智慧の限りを絞り、決定的な衝突を避けてきた歴史の背景を想像することができた。
著者の五十嵐氏とは2月の高綱博文先生主宰の合評会で同席し、その後、「台湾有事」という日本由来の外来語が台湾でも中国語として定着してきた、という見方が同じであることで波長が合った。
折しも北京では年に一度の会議の季節。
北京そして世界各地でダレス兄弟の末裔たちも忙しいことであろう。「ラーラのテーマ」は今でも大陸の町に流れているのだろうか?
そして『あの本は読まれているか?』
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