7月末の日経新聞に『中国経済の現状と展望』と題する論文が連載されました。著名な研究者の考察であり既読の方も多いと推測しますが、屋上屋を重ねるお節介を承知の上で簡単な紹介を試みます。
(7/27)㊤ 津上俊哉氏「不振企業延命の副作用拡大」
(7/28)㊥ 梶谷 懐氏「積極財政と年金拡充が急務」
(7/31)㊦ 西村友作氏「国家DX戦略で成長目指す」
年齢もキャリアも三者三様であり、論述の切り口も各様であった。
㊤:「巨額投資も効率が低下し負債残高が急膨張・隠れた政府保証が富の配分をゆがませる」と指摘。ゾンビ企業が淘汰されず、無効な保証の金利コストが4.8兆元、GDP比4.0%と試算されている。
㊥:「苦境の地方政府が地方債発行を巡り不正・地方政府に対策を丸投げする制度を見直せ」と主張。住宅価格の下落と国有地使用権の譲渡収入の急減少、年金制度の不備が不動産バブルの一因とする。
㊦:「デジタル中国」建設へ政府が強い指導力を発揮中・挙国体制のイノベーションが発展のカギ、としている。焦点をデジタル経済に絞り、経済発展の「量」から「質」への転換を習近平総書記による強い指導で目指すと指摘。
㊤㊥㊦いずれも添えられた試算表・グラフ・概念図が主要テーマのイメ―ジを明示している。
㊤㊥は、過去の中央と地方の「丸投げ」と「持たれあい」の結果として問題化している「現状」を示し、当面の処方箋を提示している。
㊦は、過去の矛盾の延長線上としての「現状」分析よりも、強力な指導力の下での挙国体制による「展望」に力点を置いているようだ。
過去には、その時々の個別の矛盾や問題は、大きな「成長」の波に吞み込まれて先送りされてしまった印象がある。現在、個々の問題は全体に繋がり、相互に影響を及ぼすだけの存在感がある。そしてそれらの問題を凌駕できるほどの「成長」は望むべくもないと思う。
今回の企画は、中国経済を多面的に論じるに相応しい論者を選び短期集中の連載としている。それによって、各人の立ち位置と個性を浮かび上がらせる構成ではないかと推察した。
まさに「多余的話」で恐縮ながら、㊤は「習政権」という表現を用い、数字を駆使した印象が強かった。㊦は「習近平総書記」「習氏」を主語としたカタカナ語句の多い文章のように感じた。
㊦の最終章の「22年のデジタル化浸透度は第3次産業の44.7%に対し、第2次産業が24.0%、第1次産業が10.5%だ」に着目した。
7月第二土曜日、Think Asia Seminar(華人研)の例会で、同志社大学の厳善平教授に中国の三農政策について話して頂いた。冒頭に幹事から三農(農業・農村・農民)問題が、戸籍、貧困、教育、農民工、男女間差別など多くの課題に外延し且つ内包すること、それにも関わらず会として第一次産業をテーマとするのは第160回目にして初めてであることを伝え、遅きに失した反省のメッセージとした。(Think Asia Seminar(華人研) 最近のセミナー →ご参照下さい)
・胡錦涛政権以降に三農政策が党・政府のメインテーマ化(1号文件)
・農業税撤廃、教育無償化、医療浸透、農村戸籍撤廃、土地流動化
→「これだけ頑張っても農民の収入は低く、権利も弱い」
・統計上は食糧生産が増加しつつも、農産物の輸入が着実に増加
→食品価格が相対的に下がり、エンゲル係数が都市/農村共に低下
・モノ輸出は大幅黒字、農産物輸入赤字で貿易摩擦を緩和している
・農村居住者数:1978年に総人口の82%→2022年、1/3に減少
→第一次産業従事者:70%→24%。若者の農業離れと高齢化
・農家は請負権を譲り小作料収入とする。大規模企業経営化が進む。
多くの変化が印象に残った。㊦が指摘する第1次産業へのデジタル化浸透度が増加するか?それを考える背景の一端も知り得た。
以上、お節介な記事の紹介とセミナーの簡単な報告とします。
7月8日の例会以降に能動的な活動の余裕がなかったこともあり、先賢からの受け売り話に終始して恐縮です。
此処からは長年の戒めを外して私事を綴らせて頂きます。
北九州・山口に線状降水帯が発生した直後、7月10日早朝に実母危篤の連絡があり、山陽新幹線の運行回復を待って徳山へ移動。
病院に駆けつけた時には小康状態で循環器系医師による説明のお陰で一息入れました。持久戦を前提とした善後策を講じて帰阪。茨木に戻って休んでいた夜、再度「急変」の電話があり訃報となりました。
心の整理はあとにして、再度徳山に移動して、妹一家のケアとサポートをしながら、家族葬で見送りました。16歳で離別してから長い時間を経て今回は物理的にも「LONG GOODBY」となりました。
生きている間に触れることができたことと、通夜を務めることで独占できたことが最後の幸運でした。毎月の拙文を丁寧に読み込んでくれた熱心な読者をなくしました。忌中、暑中、喪中が続くなか、欠席や欠礼を重ねています。茨木で静かに過ごしながら、空洞化した心を無理に励起することなく、放ったままにしています。
(井上邦久 2023年8月)