前稿では、魯迅の藤野先生への強い思いとその後の藤野先生のそっけなさ、この温度差は何故か?という疑問で終わっていました。一方、他の魯迅研究者は、当時なぜ藤野厳九郎は藤野先生になったのか、つまり、どうして普通の「市井の人」が、日常生活の中で一人の中国人に温かい思いやりを示す人物に成り得たのかという疑問を呈しています。これらの疑問について考えていたところ、つい先日、魯迅関連本と運命的な出会いをしました。そこで、それらの本を読み込む前に、今回は軽い話を一席。
去る12月3日、神保町一橋講堂での講演後に、すずらん通りのホテルに宿泊しました。そのホテルのすぐ並びに中国関係の書籍で有名な内山書店がありました。ご存じの通り、あの上海で魯迅を支援した内山完造が創業した書店です。これもご縁と書店を覗いたところ、「魯迅の仙台留学 ―「藤野先生」と「医学筆記」― 魯迅留学百二十年記念会編集」(2024)という出版したてのド・ストライクな本の存在を知りました(残念ながら、在庫がなくネットで購入)。さらに、「いま、なぜ魯迅か 佐高信著」(2019)もタイトルに魅かれて購入。しばらく歩いて靖国通りに出ると、中国関連書店光和書房の300円均一棚で、「文芸読本 魯迅」(1980)と「魯迅の日本 漱石のイギリス「留学の世紀」を生きた人々 柴崎信三著」(1999)を見つけた時には思わず声が出ました。
事ほど左様に、今回は魯迅が呼び寄せていたと思えるほど不思議なご縁を感じた神保町書店巡りでした。今さらながら、魯迅の日本における存在感の大きさと影響力をまざまざと感じます。たとえば、プロレタリア文学で有名な中野重治は魯迅から強い影響を受けていたとのこと。なんと、中野重治は福井県旧坂井郡丸岡町出身で、藤野先生の出身地である芦原町の隣町なのです。これも不思議なご縁です。
さて、小説「藤野先生」は仙台を舞台としていますが、その中に福井県人として福井を感じる点があります。藤野先生の人物像を表すものとして喋り方ついての表現が3か所出てきます。①自己紹介の場面「很有頓挫的声调」。②解剖実習の場面「有抑扬的声调」。③写真を見て回顧する場面「说出抑扬顿挫的话来」。「抑揚頓挫」とは、中国語の成語で、声に抑揚や間を持たせ、急に調子を変えたりすること(小学館中日辞典)を意味します。下線の①「頓挫」と②「抑揚」も③「抑揚頓挫」の一部で、いずれも「抑揚の強い口調」と訳されています。
魯迅は東京で日本語を学び、学校は仙台なので、東京弁や東北弁は聞きなれている中で、藤野先生の喋る言葉の強い抑揚がよほど印象に残ったのでしょう。また、最初の自己紹介の場面では、「私が藤野厳九郎と言うものでして」と話すと、後ろの方で何人か笑い声が起こったと書かれています。仙台の日本人にとっても可笑しい抑揚の日本語だったとすれば、これは藤野先生が福井弁訛りだったに間違いありません。藤野先生の生まれは、福井県北部の芦原温泉の近く(旧芦原町)で、ここは福井で最も福井弁訛りが強い地域と言われています。
福井弁は抑揚、つまりイントネーションに特徴があります。「福井県の方言 ふるさとことば再発見 加藤和夫ほか著」(2023)によると、福井弁訛りは、「うねり音調」・「ゆすりイントネーション」呼ばれる全国的にも北陸三県のみに聞かれる特徴的なイントネーションで、文節の切れ目に現われると書かれています。
同書を参考にして、「私が藤野厳九郎というものでして」を分析してみましょう。「私がー/藤野厳九郎とー/いうものでしてー/」の「/」の部分でうねりが現れます。「/」部分のイントネーションは、「私(わたし)がー」を例にとると、「し」の部分が一旦上昇して、「が」の部分で伸びながら下降をはじめ、下降途中で一度くぼんで最後は小さく上昇するという、書いて表現すると理解不能な極めて複雑なものです。これは考えながら話せるものではありません。我々ネイティブスピーカーは身体が覚えているのです。
ちなみに、コテコテの正調福井弁を話す元モーニング娘の高橋愛さんも北部坂井市の出身です。魯迅にとっては藤野先生の話す福井弁は初めて聞くものだったのでしょう。以上の様に福井弁は、言葉の節々や文末がうねる様になり、語尾が揚がるようになる特徴があり、まさに「抑揚が強い」表現に当たります。
また、韓国語は福井弁に似ているとも言われています。韓国語の文末イントネーションが似ているので、東京で同郷人と福井弁を喋っていたところ韓国人と間違えられた経験があります。福井弁は韓国語がルーツではないかという説もありますが、まったく言語学的には関係はないとのことでした。
福井放送のアナウンサーが正調の福井弁をYouTubeで説明しているので、以下のURLで福井弁独特の強い抑揚を実際に味わってみてください。「現役アナウンサーが福井弁でニュースを読んでみたざ」(https://www.youtube.com/watch?v=upOB3kMVCo0)
言葉は極めて大事です。魯迅の日本人同級生に聞いた話の中には、「藤野の先生は福井県出身で、言葉の中に訛りがあったから、その点を含め、日本語が不自由な留学生が自分の講義を理解できずにいたら気の毒だと考えていた」との感想もあります。小説「藤野先生」の中には、福井に関連した表現は一つもありませんが、藤野先生と魯迅の関係性の構築の中に福井弁が関係していたことは、小さな新発見ではないかと若干興奮しています。
折角多くの魯迅関連の書籍を購入しましたので、次回も引き続き魯迅と藤野先生関連について書きたいと思います。
福井大学 大橋祐之 (2024年12月)