大寒、春節、立春、そして日脚が伸びて春分へ。まさに節分です。
国民総生産に寄与しないながらも、色々と動いた正月が過ぎ、来し方を振り返りました。赴任直後の2009年10月から毎月綴ってきた拙文のタイトルを見直しました。住処を移すたびに「上海たより」、「北京たより」、「中華街たより」と目先を変えて今の「多余的話」に到っています。看板を換えても中身は代わり映えしません。誤字脱字や言葉の用法間違いを指摘されることは頻繁にあり、思い込みによるミスを正されたことも一再ならずありました。偶に話題がまぐれ当たりして、文章の軽さを救ってくれたこともあります。
リーマンショック後の中国経済の独り勝ち、北京五輪・上海万博が一気呵成に進行しました。日本の1960年代の高度成長、つづく東京五輪、大阪万博の体験者には既視感のある成長の景色でした。
その後、北京にも住処を設けた頃にPM2.5とか雾霾という言葉を知り、成長痛と呼ぶには惨すぎる環境破壊の実例を体感しました。
2015年に帰任帰国して、横浜市中区山下町の中華街に棲み、中国生活の余韻を感じながら暮らしました。一方では、日常会話や生活習慣を日本流に巻き戻す「社会復帰」の時期でもありました。
その中華街を福岡のN先輩が訪ねてくれました。
文武の名門コースを歩まれ、九州の社会人ラグビーの強豪チームからの誘いを断り、新聞社の文筆と酒のフィールドで躍動。退職後、博多湾に浮かぶ能古島の博物館から乞われて、企画・取材・展示・編集発行など八面六臂の行動をされていたN先輩に出会いました。
市内での約束が夕方からだったので、檀一雄に縁のある能古島へ行こうと思い付きました。姪浜波止場から能古島に渡り、行き当たりばったりで辿り着いた岡の上の博物館。その受付でN先輩から「どちらから来られました?」と問われ「今日は、上海からです」と応えたことが、今に到るまでの御縁のきっかけとなりました。
先輩が戦前の上海での小学校時代、沖縄戦の次は上海が攻撃対象になる?という「危機管理」に追われて中国東北部へ疎開し、辛酸を舐めることになった個人史をその後に何度かお聴きしました。
その日の丁寧な案内解説のなかで、敗戦後に外地からの帰還者が最も多かったのは博多港だと強調されたことが印象に残っています。
数年後、N先輩は「1945年8月15日」に焦点を当てた企画展示に注力されました。企画には高倉健さんらと共に漫画家集団の協力があり、その代表が横浜在住の森田拳次氏(モリケンさん)でした。
N先輩も森田拳次氏も1945年8月15日を中国で体験しています。
中華街福建路の「景珍楼本店」でN先輩・森田氏とお連れのW氏と会食後、歩いて1分の住処のアパートへ移動。どんな話をしたかは忘れましたが中国での体験談は何方からも多くなかったと思います。
ただ、モリケンさんはヘビースモーカーだったので度々申し訳なさそうにベランダに出る仕草やテレビで大相撲を見せて貰えまいか?と言う控えめな口ぶりが印象に残っています。
・・・「丸出だめ夫」といった子どもむけギャグ漫画で絶大な人気を博しながら一転して大人向け一コマ漫画に挑戦するとう離れ技をやって成功した漫画家・・・と評価される大家としての風情は見せず仕舞いでした。それからも部屋に寄っては『少年たちの記憶』(中国引揚げ漫画家の会編)、『私の八月十五日』(「私の八月十五日の会」編)などの重厚感のある書籍を残してくれました。堅苦しいコメントは抜きで、引揚げ漫画家仲間の赤塚不二夫、ちばてつや、上田トシコらとの南京展覧会場での破天荒なエピソードや「ゴルフ好きの、さいとうたかおは車椅子でコースを廻る」といった冗句で我々をケムに巻いていました。
週刊少年サンデー創刊号から150冊以上を引越しの際にも捨てきれずにいた漫画少年にとって、中華街でN先輩の御縁からモリケンさんと接することは望外のことでしたが、それ以上にギャグで笑わせる漫画家集団がその生い立ちで体験したことを思い出話や苦労話に留めず、見事な作品集に定着させ、数々の展示・講演活動をしていることに感動を憶えました。
正月の半ば、W氏から、『日本の四季「第一集」フーテンの寅』森田拳次画の美装版(アース出版局)が届けられました。素晴らしい画集であり、またとない形見分けになりました。
長い闘病中も懇切に見守られたW氏から2024年12月23日朝のモリケンさん旅立ちの様子を教えて貰いました。読んだ範囲の新聞訃報欄には、「ギャグ漫画で一世風靡」が強調され、中国での幼少期体験や戦争「語り部」の活動には触れていませんでした。
一にユーモリスト、二に惚れっぽい、三に放浪癖、四にお酒に強い、五、面倒見がいい、六、物語を語るのがうまい、七、好奇心が強い、そしてちょっとおっちょこちょいで、後姿が哀しい……。
画集の最後の頁に「“森拳”は“漫画を描く寅さん”だ」と題して、石子 順氏が書いています。「一にシャイ」だと密かに思うのですが、モリケンさんと長いお付き合いのW氏への領空侵犯は控えます。
(井上邦久 2025年2月)