【中国あれこれ】『第四章 現代中国への道 ③』

1987年、西安に出張した時のことである。向ソ一辺倒時代の1950年代に建てられた西安人民大厦に宿を取った。当時はまだ外資系のホテルはほとんどなく、外国人が泊まるホテルとしては代表格だった。旧ソ連にビル建設技術を学んで建設された人民大厦は無駄に大きな重厚な建物だった。外国人が泊まるホテルと言っても決してサービスの良い宿とは言えなかった。

当時、まだタバコを吸っていた私は、部屋に入るとタバコを切らしていることに気づいた。ホテルの売店(小売部)に行ってタバコを買った時の話である。

当時の売店やデパートは客が直接商品に触れることはほとんど出来ず、ガラスショーケースに商品は並べられていた。売店には一人の若い女性服務員がショーケースを挟んで座っていた。彼女は新聞を読んでいた。私が来たことに気づいたが立ち上がることもなく、そのまま新聞を読んでいる。
「すみません」と声をかける。それでも新聞から目を離さず何もしゃべらない。
「タバコを買いたいのだが、、、」と呼びかけると、ようやく持っていた新聞を床に叩きつけるようにして立ち上がり、ショーケースに近寄ってきた。
「どれ?」と不機嫌そうに言う。
「この鳳凰を二つください」と指さした。彼女はケースの中から取り出すとケースの上に投げつけた。勢いづいたタバコは私の胸に跳ねた。その態度があまりに我々には通常ではなく、後で思えば中国人同士でも愛想のない会話が普通の時代であったと思ったが、その時はその無礼に思わず文句をつけた。
「なんだ、その態度は! 客に対して失礼じゃないか! お前は服務員だろ!」
「はあ? その通り、あんたは客。私は売り子。何で私があんたに怒られなきゃならないの!」「服務員の態度の悪さを言っているんだ」
「はあ? 私はあんたが来たから、わざわざ新聞を読むのを止めて、タバコを売ってやったじゃないか。売らなかったら怒ってもいいが、あんたはタバコを買えたでしょ、何か文句があるのか! あんたが来なければ私は新聞を読んでいられたんだよ!」
タバコが売れようが売れまいが、給料が変わるわけではない。であれば客なんか来ないほうがいい。人間の本能からすれば正しい考えかもしれない。

中国経済は1978年に改革開放政策に転じて以来、確かに10年毎の変貌には目を見張るものがある。計画経済からの脱却が経済発展には必要であるとした中国は、1992年の鄧小平の南巡講話を機に新たな社会主義市場経済を導入、当時の経済学者ですら定義が難しい新たな経済路線を進むことになる。しかし、第三章でも述べたが、一般生活環境に市場経済が浸透するには時間を要した。

知っている方も少なくないと思うが、北京の老舗の国営レストラン「東来順」に駐在時代よく行った。席につくと皿を投げつけるように配膳し、無愛想な服務員が注文を取りに来るが、まるで「服務(サービス)」という姿勢ではなかった。しかし、現在ではどこのレストランも入口でにこやかに「歓迎光臨(いらっしゃいませ)」と客をもてなす姿勢が当たり前になってきた。多くの店でウェイトレスは胸に名札やナンバーをつけている。客がアンケート用紙にサービスの良い服務員の名前やナンバーを記入すると、その月の彼女たちの給与が上がるという。正に「笑顔が金になる」ことを市場経済の中で学習した成果の一例であるにちがいない。

タバコを止めて35年になる。今でも町のたばこ屋を見かけると西安の服務員との会話を思い出す。彼女は今、笑っているだろうか。

(幅舘章 2023年10月)