【中国あれこれ】『第一章 中国経済の始まり』

1979年7月、炎天下の上海虹橋空港は駐機している飛行機の数も少なく、タラップを降りると空港係官らしき人がここで待てと拡声器で乗客に伝えた。暫くすると飛行機の腹の貨物室が開き、ベルトコンベアを搭載した車両が飛行機に横付けられた。数人の綿の人民服を着た作業員が荷物を降ろし始める。乗客はその場で降ろされた荷物の中から自分の物を探し、夫々に手に取った。係官が指さす方向にスーツケースを押しながら進んだ。

暑さで駐機場の空気が揺らいでいた。ターミナルビルと呼ぶにはあまりにも小さく、世辞にも立派とは言えない建物に入ると、正面に外の様子が目に入った。見たこともない古いクルマが走っていた。そのまま外に出てしまうのかと思ったところに屋内にいた別の係官がこちらだと手招きで「入境」と書かれた所謂イミグレーションに誘導した。

入国荷物検査は、X線検査設備などはなく、全て税関職員によりスーツケースが調べられた。笑顔一つないカーキー色の制服姿に緊張で一瞬暑さを忘れた。カセットレコーダー、カメラ、ラジオ等の電気製品は全て申告書に記載させられ、その申告用紙の控えには出国時に必ず持ち帰ることを指示する旨の文章が記載されていた。当時、まだ中国国内ではその類の物は一般的ではなかったことから、中国国内にそれらを置いてくることは禁じられていたことを、その後に知ることになる。
スーツケースは念入りに調べられた。特に書籍類は何やら彼らのチェックリストの様なものと照らし合わせているようであった。

初めての中国、事前に得ていた情報以上の日本とのギャップに改めて社会主義国の不気味さを感じた。空港はなんとも表現し難い匂いがした。それは酸っぱみを感じさせるもので、これが中国の匂いなのだと思った。
上海に到着したのは昼頃だったと記憶しているが、そこから留学先である南京に着いた時は、既に22時を回っていた。
ここから私の中国に関る人生が始まった。

1953年に始まった第一次五か年計画で向ソ一辺倒(旧ソ連に学ぶ)だった中国の経済計画も現在は第14次五か年計画の後半に入り、巨大経済圏「一帯一路政策」を拡大させ、今やロシアを属国化にする勢いを見せている。

チャイナリスクとは何か? 今後の中国事業を展開させる上において、重要なことは中国という国を知ることにあると考える。文化、風習、歴史、そして人を知り、情報を得ることがリスクヘッジに繋がると信じてやまない。

今後、このコラムを通じ、「中国再発見」を感じて頂ければ幸いに存ずる。


(幅舘章 2023年4月)