『春:その季節と漢詩 ―人間社会の喜怒哀楽―』

寒い冬が去り、春の季節になってきました。日本は明治の改暦(1872年)により太陽暦(グレゴリオ暦)が導入されましたが、多くの企業や学校は年度の始まりを4月1日と設定したことから、まさに春が一年の始まりとなります。これは実態と合っているのではないかと思います。というのは、古来の二十四節気には「立春」が始まりで、一年を24等分し、それぞれの季節を表すものになっています。昔の農耕社会はそれに合わせて農業の仕事始め(春先)、繁忙期(春から夏にかけて)、収穫期(夏から秋にかけて)、閑散期(冬)へと、季節の変化を共にするライフスタイルを営んでいました。 

 

(筆者撮影)

 

現在は農耕社会ではないものの、春先は冬の「眠り」から目覚め、気持ちを一新して一年(新年度)の始まりを迎えるのが非常に合理的でしょう。

一方、二十四節気の本場である中国はどうでしょうか。現在中国の年度は1月~12月のスタイルを取っていますが、周知の通り、農暦(太陰暦)のお正月である春節は、実質一年の始まりと言って良いでしょう。学校の冬休みは春節の期間に合わせて設定し、正月十五日(元宵節)が過ぎると、春節明け即ち仕事始めになり、世間が動き出す訳です。

また、この2、30年には、春節明けの直後に全人代(国会)開会は定着し、重要な内容の一つである国家予算が決まり、経済やビジネスなど一年の始動と回り始めます。結局のところ、新年度のスタートは日本とあまり変わらないですね。

さて、堅い内容はこの辺までで、春にまつわる漢詩をいくつかピックアップして共有したいと思います。

 

〇春夜:春宵一刻値千金(蘇軾)

北宋随一の文豪、蘇軾(蘇東坡、1037~1101年)の「春夜」の起句で、それが名句として千年が経った今でも色褪せしません。春の夜の一刻の間の景は、千金の価がある、春の貴重さを最大限に謳っているものと思います。

「春夜」の全文を以下に書き写します。

春 夜

蘇軾 

春宵一刻値千金

花有清香月有陰

歌管楼台人寂寂

鞦韆院落夜沈沈

春宵(しゅんしょう)一刻(いっこく)値(あたい)千金(せんきん)

花に清香(せいこう)有り月に陰有り

歌管(かかん)楼台(ろうだい)人寂寂(せきせき)

鞦韆(しゅうせん)院落(いんらく)夜沈沈(ちんちん)

 

この詩を最後まで読むと、何となく寂しい気持ちになってきます。周知のように、蘇軾はその生涯にわたり、時の為政者(皇帝や宰相)の力関係により、失脚と名誉回復の繰り返しで、波乱の人生でした。しかし、蘇軾の文学は自身の苦難を乗り越えて、一段、また一段と大きく成長したと言われます。流罪という挫折経験を、感傷的に詠ずるのではなく、彼個人の不幸をより高度の次元から見直すことによって、たくましく生きていく心を表しています。

 

〇春望:国破山河在、城春草木深(杜甫)

盛唐の詩聖である杜甫(712~770年)の春望は、日本人にとっては説明不要なほど、お馴染みの名句です。国家は破れ人民は離散したが、ただ自然の山河のみは依然として昔のままにある、というくだりを読むと、涙を誘います。唐玄宗時代の末期、杜甫は安史の乱に巻き込まれて国都長安で軟禁状態に置かれてしまうのですが、そのころに書かれたとされます。

 

春 望

杜甫

国破山河在

城春草木深

感時花濺涙

恨別鳥驚心

烽火連三月

家書抵万金

白頭掻更短

渾欲不勝簪 

国破れて山河在り

城春にして草木深し

時に感じては花にも涙を濺そそぎ

別れを恨んでは鳥にも心を驚かす

烽火(ほうか)三月(さんげつ)に連なり

家書(かしょ)万金(ばんきん)に抵(あたる)

白頭掻(はくとうかけば)更に短く

渾(すべて)簪(しん)に勝(たへざらん)と欲す

 

一字一句を読めば読むほど、現在の国際情勢を連想してしまい、感慨無量の気持ちになってきます。平和が如何に大事なものか、それは平和な時になかなか気づかないものですが、いざ壊された時には、昨日の平和がいつになったら再び戻ってくるか、深く愁嘆してしまいます。

1200年前のこの杜甫の悲嘆がいま現在も続いているというのは、大変悲しいことであり、杜甫当人も草葉の陰で泣いているに違いありません。

 

〇登科後:春風得意馬蹄疾(孟郊)

さて、暗い内容ばかりで失礼しました。春は本来なら新緑と花が一面咲いている景色で、悦びに満ち溢れた季節のはずです。その上昇気分を謳えるのが最適ではないかと思います。この一句はズバリそのような心情を表しているものです。

 

登 科 後

孟郊

昔日齷齪不足誇

今朝放蕩思無涯

春風得意馬蹄疾

一日看尽長安花

 

昔日の齷齪(あくせく)誇るに足らず

今朝の放蕩(ほうとう)思い涯て(はて)無し

春風意を得て馬蹄(ばてい)疾(はや)し

一日看(み)尽くす長安の花

 

孟郊(もうこう、751年~814年)は唐代の詩人ですが、46歳にしてやっとの思いで科挙の試験に受かり、その晴れ晴れした気持ちを表した一句です。科挙の試験に受かって、やっと任官の道が開けた、その晴れ晴れした気持ちです。確かに、46歳では二浪三浪どころではなく、もう何浪したか、数え切れないほどですね。 

 以上、古人の名句はいくつか共有しましたが、何はともあれ、平和が一番。「天下泰平、人人安康」を切に願いたいと思います。先人たちの知恵や、犠牲を払った血の教訓を、後世の我々は社会の進化に結び付くよう努力していかなければならないと、改めて痛感している今日この頃です。

雷海涛(2022年3月)