『天外者』

大阪商工会議所に映画『天外者』のポスターが長らく掲示されていました。

自宅からの散歩範囲にしてしまった茨木イオンシネマモールで上映されるのもあと数日という頃になって思い立ちました。ヒットしない映画は段々村八分のような時間帯に追いやられることになっており、935分からということなら閑散として三密を回避した席に物好きなオジサン層がチラホラというイメージ。ところがその予想はものの見事に外れ、市松模様に仕切られた席の多くが女性中心に埋まっていました。三浦春馬にとって結果として最後の主演作品となり、五代才助(友厚)の陰影を演じるという重みに改めて気づかされました。

五代才助が少年期から島津の殿様にその才気を見込まれて鹿児島から長崎へ遊学、薩摩藩の密命を受け、幕府の千歳丸の水夫に偽装して上海へ渡り、ドイツ製の汽船を購入。薩英戦争で英国船の捕虜となり、薩摩藩の攘夷派や武断派からその商才に走った言動が更に疎まれることに。維新後は大坂在住の外交掛として重用され神戸事件や堺事件など英仏とのトラブルに対応、大坂税関初代所長や造幣寮設立に尽力したあと、不可思議な横浜への転勤、そして下野。

民間人として大坂に戻ってからは、鴻池・三井・住友・広岡・藤田などと共に大阪の経済復興に尽力し、鉱山開発・棉工業振興・藍染料製造などを次々に行い、大阪株式取引所設立・商法会議所の初代会頭就任・商業講習所(現在の大阪市立大学)の設立などの先見性を発揮。今に続く各種事業への関与をするも、病に倒れ東京で加療中に逝去。葬儀は大阪で営まれ、多くの会葬者が阿倍野墓苑まで延々と列をなした由。死因は糖尿病という説、鹿児島に籍も墓もありません。 

昨年末、大阪商工会議所書庫から『五代友厚小伝』西村重太郎共編(1968年)『五代友厚関係文書目録』(1973年)大阪商工会議所発行の非売品二冊を借り出しました。『五代友厚傳』五代龍作編(1933年。山口県のマツノ書店で購入したことは以前に書きました)は、五代友厚の賢妻豊子が整理保管した書簡類を一次資料として養子の龍作が編集したものです。それ以降に纏まった伝記類の出版がなく、外部から大阪経済界の恩人に対して非礼であると指摘され、龍作の子息の信厚氏からの資料一式寄贈を契機に上記の二冊の発行に到ったようです。それとは別に織田作之助が『五代友厚』(1942年)『大阪の指導者』(1943年)の評伝小説を書いています。織田作は日本工業新聞社に勤めていた頃に当時は堂島にあった商工会議所前の五代友厚像を眺めており、その像が戦時下に献納されたことを記しています。2016年朝ドラ『あさが来た』で五代様ブームが起きた時期に河出文庫に纏められています。

更には、宮本又次の『五代友厚伝』(1981年 有斐閣)、東洋経済社からの五代友厚伝記資料1~4巻、直木三十五『大阪物語 五代友厚』(1991年示人社)などが中之島の府立図書館で眠りから覚めるのを待っているようです。

ところで、もう一冊『新・五代友厚伝』が20209月にPHP研究所から出ています。出版企画:大阪市立大学同窓会 八木孝昌著。まさに同窓会が創立者の汚名を晴らさんとばかりに企画し、同窓生の八木氏に執筆依頼したもので、600頁を越す大部の「まえがき」には実に正直に以下の通りに書かれています。

 「本書刊行の目的は、五代友厚の生涯を、事実に基づいて正確に伝えることにあります。そのために、これまでの誤伝は、可能なかぎり正すことを期しています。中でも『北海道開拓使官有物払い下げ事件』に関して伝えられてきた五代友厚の姿は、著しく真実から外れていますので、それをただすために、当事件に多くの紙数を費やしました。読者のみなさんには、この事件を論じた第二部第八章『北海道開拓使官有物払い下げ事件』を是非読んでいただきたいと願っています。いきなりその章を読んでいただいても差し支えないように、記述のまとまりに心がけました。」

世に言うところの「明治14年の政変」に絡む事件であり、高校教科書も含めて諸説があるようです。ここでは要点と思われることを箇条書きします。

大久保利通暗殺→第二世代の主導権争い→薩長土肥+岩倉から薩長主導へ

民権運動の台頭→英国型憲法かプロシア型憲法か→国会開設は不可避

外国商人・買弁による輸出独占→直輸出志向政策→貿易商社の必要性

政府事業民営化→北海道開発を北海社(安田貞則ら)関西貿易社(五代ら)に

五代・黒田清隆北海道開拓長官・安田(黒田の部下)は鹿児島城ヶ谷の幼馴染

払下げ中止・関西貿易社解散・大隈重信の退任・憲法論議は伊藤博文主導へ

これほど単純な構造ではないようですが、五代に「薩摩派の政商」「大阪の豪商」というレッテルが貼られたことは事実でしょう。

明智光秀の天下が終わり、渋沢栄一の世界が奔流のようにメディアや書店に溢れています。その内一万円紙幣でたまにお目にかかることにもなるでしょう。渋沢と五代を比較する議論はよくありますが、今年一年かけて冷静に相違点を調べてみようと思います。直木三十五・織田作之助・宮本又次ら五代友厚贔屓は大阪派に偏っていることを割り引き、長崎でのグラバーと密着した武器商人の側面や明治元年に反対を押し切り川口居留地近くに松島遊郭を開設したことの真相も深掘りが必要でしょう。また関西貿易社の輸出対象国として清国をあげ、中国大陸市場貿易を構想した背景に、25歳で上海に渡った見聞や薩摩藩が長く琉球や函館・新潟で直貿易(密貿易)を行い、しかも北海道産昆布が上海向けの重要輸出品目であったことが影響しているのか調べてみたいです。

渋沢栄一の大河ドラマで、ディーン・フジオカが五代友厚を演じるとのことですので、またまた五代さまブームが再燃するでしょう。(加島屋→大同生命の広岡浅子が絡むか不詳です)堂島で土台と顕彰銘板だけになっていた像は戦後に再生され、大阪商工会議所脇に土居通夫像、稲畑勝太郎像と並んでいます。

最後に、映画のタイトルに使われた「天外者(てんがらもん)」について鹿児島の地元に詳しいK氏に訊ねたところ、次のような分かりやすい返事を貰いました。

・・・「てんがらもん」には賢いけれどズル賢いのニュアンスが多少あり、良い意味で使われることは少なかったと思います。もちろん100%悪いという感じではなく、お褒めの意味も含ませています。生まれも育ちも「かごんまの おごじょ」のK氏夫人も良い意味で使ったことがないとのこと。ちょっと違うが「ぼっけもん」という言い方もあり、ちょっと普通と違うが将来が楽しみな者という意味で、西郷隆盛も子供時代に、よく「こんぼっけもんが・・・」と言われていたようです。普通に頭が良い場合は「よっでっくんな」かな?

鹿児島でも地域や家庭で言葉のニュアンスは色々と異なるかも知れません。ただ映画の中での「てんがらもん」の説明には、何となくそぐわない気分が残りましたがK氏夫妻の説明のお蔭でほぐれました。人並み外れた才能に恵まれ、行動力もあるが、何か一寸含むものもあるなあ、と感じさせる人がいます。そんな人の一人であったような五代友厚を三浦春馬は実に自然に演じていた気がします。映画終盤になるにつれて周囲から嗚咽が聞こえてきました。

実に惜しい人を若くして亡くしたものだと思いました。(了)

 井上邦久(2021年2月)