市立図書館から心当たりのない電話があり、少し訝しい想いで折返しの電話をしたところ「予約の本の順番が来たので、一週間以内に借り出しに来るように」とのこと。昨年の秋に多くの予約利用者のあとに申込むだけ申し込んで「来年の忘れた頃に回ってくるだろう」と思っていた通り、全く忘れていました。
内海 健『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』(河出書房新社)2020年6月初版、2021年2月5刷とあり、図書館が渋滞緩和の為に買い足してくれた新本でした。戦後間もない1950年7月2日未明の金閣寺放火事件については多くの解釈がなされています。本書は精神病理学専攻の医師であり、熟達した文章家でもある内海氏が長期間の実地調査と専門研究の成果を書籍化した労作です。学生時代に京都河原町三条下ルの朝日会館で『金閣炎上』の作者の水上勉の講演と佐久間良子主演の東映映画『五番町夕霧楼』をセットで体験し、「三島由紀夫の『金閣寺』には雑巾のにおいがない」と水上勉が語っていたことを思い出しました。
抗日戦時下、国民党重慶政府の蒋介石と袂を分かち南京政府の主席となった汪精衛(兆銘)が1944年11月に名古屋で病死した後、主席代理を務めたのが陳公博。北京大学卒業後、初期共産党の活動に従事し、1921年7月23日に、上海で秘かに開かれた中国共産党第一次全国代表大会に広州代表として参加。13名の参加者の中には長沙代表の毛沢東や日本留学生代表の周仏海もいます。陳公博は脱党後に米国留学を経て国民党左派として権力の中枢を歩むも、大戦終結直後、南京から米子空港経由で京都に逃れ、金閣寺に匿われた(近衛文麿の差配?)。蒋介石からの督促圧力に応じて出廷した裁判で傀儡政権首班の「漢奸」と見做され有罪判決後、1946年6月に死刑執行。
陳公博一行が金閣寺に潜んでいた時、修行僧で後に放火犯となる林養賢は舞鶴市成生の実家の寺に戻っていて、直接の接点はなかったものの、食糧難の時代に豪華な食事や麻雀に興じていたという「亡命者」や、それに阿る金閣寺住職への反感が放火の理由の一つにも挙げられています。
初期の中国共産党についての読み物としては、譚璐美『中国共産党を作った13人』(新潮選書)があり、新中国では毛沢東・董必武以外は陳公博も含めて「そして、誰もいなくなった」経緯を綴っています。1921年7月23日の結党から今年は100周年であり、東京五輪の開幕予定日に重なります。どのような人の流れになるのか、ならないのか注目しています。
そのこと以上に注目しているのが2022年2月4日に開幕が予定されている北京冬季五輪です。来年の春節は2月1日であり、最も寒い時期の中国北方での五輪開催となります。2015年のIOC総会で北京での冬季五輪が決まった時に訝ったことを思い出します。当時も北京の空気汚染は酷い状態でした。毎朝の出勤時にPM2.5や霧霾レベルをチェックし覚悟を決めて屋外に出たものです。現在と異なり北京市民は「日本人と間違われるから人前ではマスクはしない」と言いつつポケットにはしっかりしたマスクを保持していたのを思い出します。石炭暖房などの煤塵が増える冬場に、渤海湾から吹く風が北京の背後に屏風のように重なる山地にぶつかり、溜まった硫化物系と思われる黄白色の塊を飛行機の窓から目視できていました。
冬季五輪を何故に開催しなければならないのかと訝りつつ思い到ったのが「世界から注目される冬季五輪を錦の御旗に環境改善を図るのではないか?」という穿った考えでした。中途半端な改善策では追い付かない程の環境破壊は現実に存在し、一過性の弥縫策では失笑を買うだけ(会議期間だけ快晴にするAPEC BLUE方式)ならば北京五輪を利用して、環境改善の為なら強引なやり方でも許されるとばかりに工場の移転や排ガス規制を進めるのではないか?「汚れた空気を世界に曝すことは国家の恥であり許されない。気象ミサイルでの快晴では嘲笑されるだけだ。それでよいのか」と面子に訴える強引な手法です。
ただ現実は楽観視できず、今年の春節三が日の北京の空気は一年後に劇的に改善するとは思いにくい状態だったとか。一方で6年前の酷さに比べるとかなり「マシ」になっている、という現地からの声が増えているのも事実です。
東京のことも分からないのに、北京のことを分かるはずがありません。中でも中国がファイザー社のワクチン1億回分を契約しているとの報道です。これが事実であり、契約が履行されるとして、誰に接種する為の1億回分でしょうか?訝しい思いでおります。また久しぶりに「ふつうの大統領」を擁した時の米国のタフな総合力は軽視できないでしょう。事ほど左様に北京五輪までの道程には各種のハードルが高止まりしたままにあるのではないかと想像しています。
この拙文を綴っている3月7日は「金閣は焼かなければならぬ」と思い詰めて放火した林養賢が、医療刑務所から釈放後に収容された京都府立洛南病院で結核により亡くなった祥月命日(1956年没)です。「○○しなければならぬ」という意識の潜伏期、そして前駆期を特徴づけるのは、ひそやかな「存在の励起」とでもいうべきものである、と内海氏は書いています。その典型事例を林養賢と三島由紀夫に共通して見出し書物にしたのだと思いました。中国政府の言動を○○であらねばならない「存在の励起」の角度から考えてみたいと思います。
井上邦久(2021年3月)