【挿隊的日子~下放の日々~】(11)

11.「偸鶏摸狗」~ニワトリを盗んだり犬を捕ったり~

 

農村では「ニワトリを盗んだり犬を捕ったりするのは盗人の内には入りゃしない。見つかるような間抜けな奴にはゲンコツ一発お見舞いしておけ」という言い方が広く伝わっていることを知識青年たちは知っていた。

だから、下放していた知識青年たちには、ニワトリを盗んだりトウモロコシをくすねたりしたという経験が多かれ少なかれあったはずだ。もしも自分は聖人君子だったという人がいたら、それはむしろ残念なことで、知識青年の生活としては完璧ではなかったと思う。

毎食の水みたいな薄いお粥やおかずにはほとんど油気がなく、「精進料理」にも程があった。

食い意地の張った知識青年たちは、ニワトリ、猫、犬、兎を見ればよだれを垂らし、壁に巣穴を作っているネズミ以外、動物であればまず食べたい!と思っていた。

最初の頃は、「盗み」の要領がわからずにもたつき大きな音を立て、ニワトリやら犬やらを驚かせ大騒ぎになり、獲物を手に入れることができなかった。

このような行為は「盗人」とは言われない、とは知っていたものの、恥知らずの行為であることには違いない。それでも、お腹を満たすためにはメンツを捨てるしかなかったのだ。

成功率を高めるために、目的を同じくする者数名が話し合いを行った。

いくら公社員たちから「盗人」と言われないとはいえ、この「盗む」という言い方は、やはり気持ちが良くない。全員一致で「連れて行く」という言い方に替えようじゃないか、ということになった。ニワトリを連れて行くとか、犬を連れて行くとかであれば、耳障りではないし、きれいに聞こえる。

こそこそした悪いイメージを持つ「盗む」を、何でもない普通の「連れて行く」に替えたお蔭で、我々は大分落ち着いた気分で「仕事」ができるようになった。

仲間たちは、我も我もと次々にアイデアを出し合った。その様子はまさに智慧が湧きだしてくるという表現がぴったりではなかったか。

そして、「知識青年」の名に恥じない我々の作戦は、電気を使って獲物が出す「音」を押さえるというものだった。

生産隊のニワトリ小屋は、知識青年食堂から10数メートルしか離れておらず、壁で仕切られているだけである。緻密な偵察により、お腹の空いたニワトリが餌を探し回っている午後の餌やり前の時間が一番手を下しやすい、という情報がもたらされた。

計画は実行された。

人目につきにくい片隅からレンガを二つ抜いて穴を作り、地面を水で濡らしてから米を撒き、ニワトリの鳴き声をまねておびき出すのだ。一羽でも沢山でもダメで、二、三羽が出てきて米をついばんだ時、スイッチを入れて通電すると、ニワトリはコケっと鳴いて倒れた。

この方法は犬にも効果を発揮し、何度やっても確実だったが、忍耐力が必要だった。

一羽の時に通電させると、他のニワトリが驚いて逃げてしまうし、ニワトリ一羽ぽっちではほんのわずかな分け前にしかならない。やはり二、三羽がちょうど手ごろで、それ以上だと見つかる可能性が高くなるし、事が済んだらレンガを戻しておけば誰にもわからない。

夜、トリ肉を煮る前には、まずドアや窓を麻袋でしっかり覆ってから火をつけ、フイゴで風を送る。機械式の送風機では音が大きいために場所を特定されやすいからだ。風の強い日や雨の日は匂いが広まりやすく、関係ない人たちが嗅ぎ付けたらまずいことになる。

鍋の中のトリ肉はゆらゆらと立ち上る湯気とともにうっとりする美味しそうな匂いを立てている。みんな笑顔で、美味しいものが食べられるというよろこびに満ち溢れていた。

この気分、この情景に合わせ、バレエ劇『沂蒙頌』の挿入歌(※)を歌いだす者もいた。

トリ肉が煮えた。

みんなの笑い声がピタリと止まった。

コンロの前に押し寄せ、我先にと自分の食器に肉や汁をよそい、鍋一杯のトリ肉は汁ごとあっという間にきれいさっぱり平らげられてしまった。

このような褒められたことではない行為は、やり始めこそ多少なりともビクビクしたものだったが、度重なる鍛錬を経て慣れっこになっていった。ツラの皮はかなり厚くなり、気持ちもどんどん大きくなった。

それでもひやっとする場面に遭遇したこともあった。

ある時、公社員の家の犬が知識青年食堂の脇を通りかかり、不幸にも襲撃にあって命を落とした。町で犬の毛皮と酒を交換しているところを飼い主に見つかり、犬の行方を捜しに食堂まで追いかけられたが、間一髪、公社員が食堂に入ってくる前に、私たちは犬の肉を給気口に隠してごまかし、その場をやり過ごした。

納得いかない公社員は帰り際に、「徹底的に探してやるからな」と、捨て台詞を残して行った。知識青年はさすがに「知識のある青年」だけあって、頭の回転も反応も速いということがこれによって証明された。

動物の「盗み」を「連れて行く」としたのに対して、野菜やトウモロコシなどの「盗み」については「大収穫」ときれいな表現に言い換えていた。

こんなことを言ってはなんだが、知識青年として農村に居たのに、何かを「連れて行った」ことも、「大収穫」したこともない独善的な人がもしもいるならば、それはつまらない生活だったのではないだろうか。

農村での生活が長くなるにつれ、私たちのこの方面の技術はだんだんと熟達していった。

最近のスマホゲーム『家庭農園』の中では野菜を盗むのは娯楽であって、このバーチャルの世界では疲れることはないが、私たちの「大収穫」はリアルバージョンであり、正真正銘の「盗み」であった。

あの当時は、夏の盛りから旧暦の8月頃まで、市場の棚には野菜はほとんど並んでいなかった。家族に野菜を食べさせるため、私たちが生産隊の畑で「大収穫」をするのは致し方ないことでもあった。

昼間に目標の所在を詳細に偵察しておけば夜でも狙いが定まり、着実に、正確に、容赦なく行うことができて、一度もしくじったことはなかった。

「ニワトリを盗んだり、トウモロコシをくすねたり」といった、困った行為が知識青年の中で常態化していれば、私たちがどんなに「盗む」という言葉を避けて、きれいなものに言い換えたとしても、生産隊や公社員の家族たちに与えた被害は少なくなかった。私たちのやったことに対して、農村の人たちは激怒し、また気をもんでいたことであろう。

このようなでたらめな行為は今も頭から離れず、後悔し、気が咎める。

※バレエ劇『沂蒙頌』の挿入歌

♪炉中火放紅光,我為親人熬鶏湯,続一把蒙山柴炉火更旺,一瓢沂河水情深諠長……♪

「炉の中の火は赤々と光りを放ち、私は解放軍兵士のためにトリ肉のスープを煮込む。蒙山の柴をくべれば火はさらに燃え上がり、沂河の水を加えれば誼は深まる……」

 このバレエ劇は国共内戦時代の山東省沂蒙山脈でのできごとを描いており、上記の歌詞は、山中で見つけた傷ついた解放軍兵士のために、主人公の女性が自分たちの飼っていたニワトリを絞めてスープを煮込んでいる場面で歌われている。

(2018/05/29掲載)