【北京の二十四節気】小寒-中国最初の映画館-

●小寒-中国最初の映画館(2017年1月5日 スモッグ重度汚染 最高気温 2℃、最低気温 -4度)

明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い申し上げます。

日本では元旦を祝いますが、中国では、最大の行事である春節(旧正月)を控えているために、元旦はそっけないものです。特に今年の元日は空気汚染がひどく、初日の出どころか初スモッグになりました。

さて、今回は中国最初の映画館を紹介します。この映画館は“大観楼影城”と言い、北京の昔からの繁華街“大柵欄大街”にあります。

“大柵欄大街”は、前門大街と煤市街を結ぶ250mほどの大きな通りで、歩行者天国になっていて、衣服、靴、薬、お菓子等々の北京の老舗という老舗が全て集まっています。この“大柵欄”の読み方は独特で、中国の標準語読みでは“da zha lan”ですが、北京人は“da shi lar”と言います。こう言いませんと、「田舎者」と笑われてしまいます。東京の人が“ヒクレサト”を“ニッポリ”と言うのと同じです。ちなみに、ある有名な作家の中国を舞台にした小説を読んでいましたら、“大柵欄”が登場し、“da zha lan”とふりがなをふっているのを発見し、ちょっとうれしくなりました。

中国は現在ネット社会となり、映画を見に行くにも、携帯電話で、どこの映画館で、どこの席まで簡単に予約し、チャージマネーで支払いも出来るのです。

そこで、中国最初の映画館を見に行こうと思い、見るのなら、昨年日本をはじめ中国など海外でも大ヒットした映画『君の名は。』が良いと、事務所のスタッフに予約してもらいました(残念ながら自分はこのような操作が出来ません)。実は、事務所の皆から、「恋愛映画を一人で見に行くとは、他の客から変わった人に見られますよ」と忠告を受けたのです。単身赴任のため男一人で行くしかないのですが、そんな親切を複数の人から言われて萎えてしまう気持ちを振り絞り、勇を鼓舞して行きました。

【大観楼影城(映画館)】

“大観楼影城”は、1905年、まだ清朝西太后の時代、任景豊という人物がこの映画館のオーナーとなり、自らの手で京劇役者が演じた「定軍山」を撮影し、この映画館で上映したのです。なお、世界最初の映画は1894年末頃フランスで作られたと言われおり、日本では活動写真と言われるサイレント映画が中国より6年早い1899年に公開されています。そんなわけで、世界最初が好きな中国人にとって、この映画館はあまり自慢にならないようです。

【映画館の玄関、右側が窓口】

この中国最初の映画館に着いて、窓口に午後2時半の映画を予約していると言いますと、窓口の女性が不思議そうに、

「この映画は2時半からはありません。今日は夜の7時からだけです。どうしますか?」と聞くのです。

ネットで予約してもらったときは、狭い会場に、カップル1組と私の3人予約がありました。3人だけでは採算が取れないので、映画自体がキャンセルになったようです。キャンセルしても、何の連絡もなく、映画館に行って初めて分かるのです。この映画館と同じように、中国国内線フライトも客が少ない時は、しばしばキャンセルになります。ネットなどのハードとソフトの発展は凄まじいものがありますが、それに伴うサービスというものが付いていっていません。自分の都合(或いは利益)がメインで、人の迷惑は二の次なのです。

【漢方薬の老舗同仁堂。くわえタバコはやめましょう。】

中国では、国土が広く、人口が多いためでしょうか、“個”が軽んじられています。恐らく、これは現在の中国だけでなく、何百年、何千年という歴史のなかでも変わらない現象と思います。“個”は社会から軽んじられているために、自己の利益を最優先に考えるとともに、自己主張を強く行わなければならなくなります。

狭い国土のなかで、他人に迷惑をかけないように、人間関係に注意を払いながら生活している日本人とは、この点が根本的に違います。自己主張の強い中国に、我々日本人がヘキエキするケースは間々あります。しかし、この国民性の違いを理解した上で、我々は我々の正しい姿で、中国の人たちと付き合っていく必要があるのではないでしょうか。

こんなことを思うようにして、キャンセルされた怒りをなだめております。

結局、映画『君の名は。』は、本当に気持ちが萎えてしまい、残念ながらまだ見ておりません。

【記念品を売る小さな店がひしめくストリート】

大観楼影城:北京市西城区前門大柵欄大街36号

文・写真=北京事務所 谷崎 秀樹


★本コラムについてはこちらから→【新コラム・北京の二十四節気】-空竹-2016/6/22

★過去掲載分:

【北京の二十四節気】2016年掲載分