【多余的話】『中国語入門』/『燕山夜話』ひとそえ

良いきっかけがあって、4月からNHKラジオ「まいにち中国語」を聴いています。途中で息切れしても自分を責めない、と予防線を張ってテキストを買いました。西香織講師の目標が「おとなりさんと中国語で話そう」でした。明るい音楽とテンポの良い会話に乗せられて、気が付けば4冊目のテキストに入っています。

日本で生活する中国人のおとなりさんと言葉を交わす設定、例えば引越し、公園散歩、買い物情報などの会話です。生活に密着した会話を学びながら、その会話の背後にある日本社会と中国文化との相違に少しずつ気づかされています。思い込みによる自己流の発音やいい加減な四声の欠点を素直に認めて修正に努めています。

当然のことですが、50年以上前のテレビ中国語講座とは雰囲気が大きく異なります。当時「違う土俵で相撲を取ること」で現実逃避をしていた高校生、受験生意識の希薄な高校生にとって「中国語を学ぶことは闘うことだ!」は魅力的なスローガンでした。

1972年の日中国交正常化前、尖った中国語学習の拠点の一つだった大阪市立大学の荒川清秀さんと偶然の機会で面識をもらい、その尖ることのない人柄と地道な学習姿勢に感化されました。

姿勢に感化されながらも地道な学習をせず、手っ取り早い収入を得ようと友好商社に潜り込み、日中貿易の世界に入門しました。

長い障害物競走を「中国語通訳の新人」「中国要員の中堅」そして「中国通と相手に錯覚させるベテラン」として走り抜けました。特定の相手と限定的な商品についての中国語会話と筆談を繰り返し、その場を凌いできた反省があります。その過程で「慣」はまだしも「馴」や「狎」は自戒し、「熟」を目指したままで未だ熟しません。

ラジオ講座を聴く一方で、六月に別の入門書を手にしました。
…(ほとんどの教科書の本文の会話は)はっきり言ってみんな意識が高く、希望を持っていて、やる気や好奇心に満ちていたのです。さらに、同級生はみんな仲が良く、何か嫌なことやわからないことがあったら熱心に助けてくれるし、家族なら一家団欒を楽しみ、会社なら上司はやさしく、道で会った知らない人でも道を熱心に教えてくれるだけでなく、自分に関心を示してくれます。正直、私はこのような世界に生きたことがありません。これらの教科書に示しているのは、どこにもない場所のように感じたという意味で、「ユートピア」でした…という「はじめに」を読んで、ハテと考え、つづく「目次」の章立てと引用された単語に躓きました。

第1章:心の闇:难过,心酸,难熬,寂寞,孤单,牵挂,吃醋・・
第2章:社会の闇:风险,轻狂,奢求,内卷,堕落,躺平,摆烂・

NHK語学講座やこれまでの教科書では出会ったことのない文例や解釈のねじれ、そして一つの単語の持つ社会性に揺さぶられました。

闘う中国語入門の十代の頃にも、中国出張で各地を巡っていた頃にも、出くわさなかった言葉と解釈が並んでいます。読み進めるうちに、今さらながらですが、その場凌ぎの通訳や腹を割ったつもりの会話の浅薄さに思い至りました。

兄事していた荒川清秀さんが2021年夏に亡くなる前年に出された『漢語の謎-日本語と中国語のあいだ—』と同じ「ちくま新書」6月発刊、楊駿驍さんの『闇の中国語入門』からの引用と感想です。

この20年余りの社会の変容を抉り、抽出した言葉の考察を通じて意識の多様化を説明しています。闇から眺めることで想像力が刺激され、広い文化論の世界に導かれます。

この新しいタイプの中国語と中国文化論の入門書を手にした後もラジオ講座を聴き続けています。パスポートや財布を入れたバッグを置き忘れても、性善説に立った肯定的な明るい会話を続ける設定にも奇妙な奥深さを感じています。

夏祓い、例年通りに水無月を冷やして食べました。

この半年に印象に残った映画について「ひとそえ」します。

『パーフェクトデイズ』:
最終章で三浦友和と石川さゆりが唐突に出てきたのは余計だった。同じ映画で二人を見るのは山口百恵『伊豆の踊り子』以来のこと。  
最初は満員札止めで空振り、続く二回目、三回目も大入り。
アカデミー賞を逃してから直ぐに上映が終わった。

『無名・HIDDEN BLADE』:
汪兆銘首班の南京政府を間に挟んだ二重・三重スパイの駆け引き。トニー・レオンと王一博のアクションシーンが圧巻。

『源氏物語』:
1951年大映制作。長谷川一夫主演。OCCUPIED JAPAN終焉期から日本国独立前後に源氏物語ブームがあったと言われる中での一作。

『ちゃわんやのはなし』:
沈寿官一族の異境での歴史と十五代目の半生を軸にした作品。
語りを中心に丁寧に描いていた。床の間の薩摩琵琶が気になった。

『中村地平』:
桜桃忌の季節に観た。謎や闇の要素が少ないドキュメンタリー。

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『燕山夜話』ひとそえ

大河というほどの河川に乏しい国の大河ドラマ、今年は源氏物語とその作者の世界が舞台である。主人公の父、藤原為時が漢学に通じていたこともあり、越前国守に任じられた。交易を求めて若狭に来ていた宋人との現代中国語による交流シーンが増えた。その一つ、宋人主催の宴で羊料理が供された時、紫式部は初めてのことに驚きつつも、「好喫」と発して座を和ませていた。

三国志魏書・東夷伝倭人条の一節
「種禾稻紵麻蠶桑 緝績出細紵縑緜 其地無牛馬虎豹羊鵲」に拠り、農作養蚕は行われていたがその地には牛・馬・虎・豹、そして羊がいないとされてきたようだ。
…財、貨、賭、買……。義、美、善、養……。
貝のつく漢字と羊のつく漢字から、中国人の深層が垣間見える。多神教的で有形の財貨を好んだ殷人の貝の文化。一神教的で無形の主義を重んじた周人の羊の文化。「ホンネ」と「タテマエ」を巧みに使い分ける中国人の祖型は、三千年前の殷周革命にあった。…干支一巡前の『貝と羊の中国人』(新潮選書・解説文より)。物事を大掴みするのを得意技とする加藤徹氏の大胆な説であったが、羊が「タテマエ」の象徴であるかどうか?羊羹を食べながら改めて考えてみよう。

                                 (井上邦久 2024年7月)

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