【中国あれこれ】『第三章 現代中国への道 ②』
1988年2月、ウルムチの冬は灼熱の夏が恋しくなるほどの極寒を感じさせた。現在ほど観光地化されていなかったウルムチは大半がウイグル族で、人種の違うまるで異国であった。私は、新疆機電設備輸出入公司(機電公司)とのKD(ノッ…
1988年2月、ウルムチの冬は灼熱の夏が恋しくなるほどの極寒を感じさせた。現在ほど観光地化されていなかったウルムチは大半がウイグル族で、人種の違うまるで異国であった。私は、新疆機電設備輸出入公司(機電公司)とのKD(ノッ…
南京の夏の暑さは過去に経験したことのないものだった。私は他の留学生の友人と三人で明朝時代(1382年)に建てられた時を知らせる「鼓楼」の丘を歩いていた。上はタンクトップ、下は持っていたジーンズを膝上で切り取って短パンにし…
1979年7月、炎天下の上海虹橋空港は駐機している飛行機の数も少なく、タラップを降りると空港係官らしき人がここで待てと拡声器で乗客に伝えた。暫くすると飛行機の腹の貨物室が開き、ベルトコンベアを搭載した車両が飛行機に横付け…