【中国あれこれ】『第十一章 現代中国への道⑩ 人民大会堂』

1990年代、第8次から第9次五か年計画にかけて、中国は外貨獲得の為に外資系企業の誘致に全力をあげた。自動車産業もフォルクスワーゲンが1984年に上海汽車と合弁生産を始めて以降、外資自動車メーカーの投資環境も徐々に整い始…

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【中国あれこれ】 『第十章 現代中国への道 ⑨ 長安街の広告』

1990年代に入ると中国の自動車産業は大きく変革の時代に入った。政府機関の入札による 完成車輸出ビジネスは継続されたものの、1994年に打ち出された中国新自動車産業発展政策により技術向上を狙った中国自動車メーカーはKD(…

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【中国あれこれ】 『第九章 現代中国への道 ⑧ 中国モーターショー』

1988年晩夏、上海の中心地に位置する旧ソビエトの建築様式で建てられた上海展覧中心では各国の自動車メーカーが準備に追われていた。上海国際汽車展覧会、上海国際モーターショーである。北京と上海が隔年で開催される国際モーターシ…

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【中国あれこれ】 『第八章 現代中国への道 ⑦ 』

1985年秋、その電話は突然だった。 「ハバちゃん? Iです」伊藤忠商事のI氏からだった。「オーダーナンバー○○〇、キャンセルしてほしい」「えーっ!無理ですよ。もう生産終わりますよ。半分以上がもう大黒ふ頭に入ってます」「…

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【中国あれこれ】『第七章 現代中国への道 ⑥ タクラマカン砂漠』

1987年夏、新疆ウイグル自治区庫車(クチャ)、我々砂漠専用車実験チームは石油工業部(現中国石油天然気総公司)の招待所でタクラマカン砂漠に入る為の許可書発行を待っていた。クチャに到着してから既に三日が過ぎていた。気温は4…

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【中国あれこれ】『第六章 現代中国への道 ⑤』

1986年6月、梅雨のない東北地方は晴天だった。未明の早朝に北京を出発した列車は昼過ぎに遼寧省叶柏寿駅に到着した。当時の列車は時間調整のために時に数十分停車する。我々はゆっくりと下車の準備をした。何気なく車窓の外を見ると…

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【中国あれこれ】『第四章 現代中国への道 ③』

1987年、西安に出張した時のことである。向ソ一辺倒時代の1950年代に建てられた西安人民大厦に宿を取った。当時はまだ外資系のホテルはほとんどなく、外国人が泊まるホテルとしては代表格だった。旧ソ連にビル建設技術を学んで建…

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