毎年の習わしで大河ドラマに関する出版物や画像が増える季節、本屋に『光る君へ』コーナーができて、図書館では源氏物語の特別展が開かれている。今回の題材は戦国時代の合戦絵巻や幕末開国の髪型や服装の劇変という視覚的な分かり易さに乏しく、紙芝居風にしにくい中で主演の紫式部役の吉高由里子が孤軍奮闘している。
学生時代に縁者を頼り、奈良の農家に下宿させて貰った折、その家の主のお婆さんが「大河ドラマは刀を振り回すか、大声で口喧嘩ばかり、恐ろしくて好かん」と呟いた言葉を思い出す。
「明石源氏」という言葉を知って安堵したこともある。今度こそ読み通そうと気負って第一帖を開くが、息が続かず第十三帖「明石」あたりで頓挫する人が多かったので生まれた言葉のようだ。
その明石に中国「残留日本人孤児」を支援する兵庫の会から発展的に独立した「明石日本語教室」があることは聞いていた。昨秋、明石教室から唐突に開設10周年記念誌が届いた。全部で109頁の記念誌を通読して、帰国一世・二世に日本語を教えることが一義的な目的であることは間違いないが、地域の世間話やお役所仕事についてのお喋りも含む様々な活動を「孤児」とスタッフがフラットな姿勢で続けていることが第一印象として窺えた。
しかし、多くのアンケート記録や画像とともに文章を再読して、印象を簡単に言葉にできなくなった。1945年8月10日頃から続く壮絶な体験記や深刻な逃避行の記録は当然重い。1972年の国交正常化以降の残留孤児の生活は「母国に帰っても母語であるべき日本語が自由にならない」苦境から始まっている。「公的支援政策」だけでは不足する面を日本語教室が支えてきたことを知らされた。
記念誌に添えられた読後感想文コンクールの案内に応じて、率直な印象を綴った。中学・高校生の若い関心の芽を育むのが主な目的のコンクールだろうと解釈して、一般の部に「枯れ木も山の賑わい」のように届けた。2月になり、事務局から「優秀賞に選ばれたので、25日の明石での表彰式に出席してほしい。交通費は出せないけれど」との通知があり、御礼をするとともに出席する旨の連絡をした。
元宵節の翌日、春節の終わりにしては寒の底のような冷気の中、明石へ向かった。受賞者席には副賞の薔薇の鉢植えが置かれていた。年下の受賞者の中で、少々気恥ずかしい気分もあった。壇上で会長から表彰状を読み上げていただいた。兵庫県知事賞は北海道の方が選ばれたが参加が叶わないとのことで、受賞者代表挨拶の御鉢まで枯れ木に回ってきた。
1990年の青島での元宵節に、職員やホテルスタッフから自家製の元宵(餡を詰めた白玉団子)を沢山貰ったこと、大小さまざまな団子を鍋やポリ袋に入れて届けてくれたこと、その後に住んだ上海や北京の市販品よりも味わい深かったことをスピーチの冒頭に置いて、そのあとは、相撲内容は憶えていませんという力士のインタビューと同じで原稿も記憶もない。表彰式は大相撲の千秋楽に眺めるものと心得ていたので、自らが当事者になるとは思いもよらず、実に貴重な体験であった。「空前」とは言えなくても賞状を貰ったのは何十年か前の漢字検定の時以来だった。そして今回で正に「絶後」になると自覚した。頂戴した薔薇の鉢も図書券も含めて、浄財に基づく運営資金の中から捻出されたものと思い至ると単純には喜べなくなった。茶話会では公的補助が漸減傾向であるという国や地方の政策を知らされた。
中国東北部で敗戦時に為された棄民は「空前」の規模であった。戦後も棄民が「絶後」とは言い難く、それが現在も明石だけでなく各地で形を変えて続いているようだ。
1945年9月まで中国東北部に存続した南満洲鉄道㈱の主催で1928年、昭和天皇即位の「ご大典」慶祝行事として、崑曲(崑劇)のトップスター韓世昌が京都で公演をしている。京劇の梅蘭芳は「もう珍しくない」ので、崑曲の韓世昌が選ばれた、と中塚亮氏の「韓世昌による崑曲来日公演とその背景について――満鉄の弘報活動との関係から」と題する論文に詳しい。また韓世昌生誕125周年記念文章には「赴日本演出成功、以芸術精湛獲得“崑曲大王”称号、一時韓、梅(蘭芳)并称」とある。日本公演にも参加した馬祥麟は、1957年に韓世昌とともに北方崑曲劇院を創建、1958年に正式参加した張毓文は韓・馬らの老師に学んだ。文革期に同院は撤収された。一部は北京京劇団などに移籍するも1979年に北方崑曲劇院が復活し張毓文も同院に復帰した。馬祥麟師とともに伝統普及に努める中、1989年以降に外国人留学生、中でも日本からの「能唱能演」十数名の人材を育て、現在も交流が続いている。2023年大晦日の北京記念公演は張毓文師への日本人演者らによる謝恩企画であり、ライブ配信された。
北京での修行を積んで、帰国後も崑曲の継承普及活動に尽力している前田尚香氏を中核とするメンバーにより「崑曲・崑劇の実技と解説」と題したイベントをTAS(Think Asia Seminar/華人研)の3月拡大例会として催した。
遠方からも多くの方々に駆けつけていただき、演者・奏者の熱演と相まって盛会となった。定刻・無事故での進行もできて、笑顔で「面白かった」と口にされる観衆をお見送りできた。
ご縁が繋がる明石日本語教室からも多数お越しいただいた。(了)
(井上邦久 2024年3月)