【日中不易流行】『中国と能楽』

福井でも異常な暑さが続いている今年の夏。今回は今までとは趣向を変えて、違った切り口で中国の話題を書いてみたいと思います。日本の伝統芸能である能楽と中国の関わりです。学生時代を「空から謡が降る」と言われた(北島三郎の「加賀の女」の歌詞にもあります)加賀宝生で有名な古都金沢で過ごし、能楽サークル「金大宝生会」に入部したのが能楽との出会いです。学生時代、宝生流謡とともに囃子の一つである葛野流大鼓(大革)をプロの能楽師に習い、4年目に能「葛城」の舞台に立てたことは「一生の宝」となっています。以来40余年、家族に能楽師がいる関係で、能楽に触れる機会は比較的多く、齢を経るとともに未だに良くわからない能楽の魅力の沼にはまっていくという悦びを感じています。

さて、つい先日の8月11日に福井県池田町須波阿湏疑(すわあずき)神社にて開催された「葉月薪能」(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000035.000035317.html)で金剛流能「泰山府君」(たいざんぶくん)を観る機会がありました。池田町は、鎌倉時代から続く「水海の田楽・能舞」を今に受け継ぐ「能楽の郷」として知られています。泰山でまず中国五岳名山の一つである山東省泰山を思い出しました。泰山は登った経験はありませんが、安徽省黄山登山での景色は中国絶景記憶の一つとなっています。ストーリーとしては、桜花咲き誇る季節に万物の生命を司るとされた道教の神泰山府君と天女に桜の命を永らえさせてもらおうという願いを謡った曲です。作者は世阿弥とされていますが、筋書自体は面白いものではないと思います。世阿弥がなぜわざわざ中国の神に題材をとったかについては議論があるようですが、泰山府君はその名のとおり泰山の神であり、寿命を延ばしてくれる神として信仰が厚く、その信仰が道教とともに日本にも伝わって、陰陽師の間などで信仰されたのではないか。世阿弥の時代にはまだ一定の影響力があって、泰山府君は人間をはじめ生き物の命を永らえさせてくれると信じられていたのかもしれません。

また、中国の神である泰山府君は、日本では仏教の閻魔大王の侍者として人の善悪を記録するとされており、神仏習合しています。さらに、日本の神様である素戔嗚尊 (すさのおのみこと)とも合体融合して、もう何が何やらわからない多国籍連合となっているようです。昔日本史で習った「本地垂迹説」を思い出しました。いずれにしても、中国の神を題目にした能を世阿弥がつくり、現在も金剛流のみで継承されている稀曲です。その能に池田の杜の中で、このタイミングで出会ったことに不思議なご縁を感じました。

「泰山府君」の舞台自体は、長い夕日も落ちて薪の炎の中、蜩の鳴き声を聞きつつ、シテ金剛永謹師(金剛流宗家)、ワキ宝生欣哉師(下掛宝生流宗家)のダブル人間国宝というこれ以上ない豪華演者。泰山府君の勇壮な舞と天女の優雅な舞の金剛流のお家芸は、野外の酷暑の中で3時間待った甲斐がありました。良い能を見ていると、眠りとも違う魂が抜ける幽体離脱感というか不思議な感覚に囚われることがあります。とにかく眼福の極みでした。

と、言うことがあり、改めて能楽と中国との関係について調べてみました。能楽の世界では、中国から題材をとった曲を「唐物」(からもの)と言います。茶道の世界でも、中国から輸入された舶来の文物の総称としての「唐物」が珍重されています。能楽では、中国を舞台に、中国の皇帝やお妃、神仙や妖精、英雄たちの物語を脚色したものなど多彩なバリエーションがあります。本来は日本の物語から題材をとったものが多く、その最たるものが「平家物語」で、宝生流現行曲181曲で数えますと30曲を超えています。能楽が日本の伝統芸能と言われていながら、中国からの題材が多いことは大変興味深いことです。中国の故事来歴がいかに古の教養であったかの証左ではないでしょうか。

まず、「唐物」にはどんなものがあるのでしょうか。能楽5流派の内、宝生流の現行曲では、「鶴亀」、「西王母」、「芭蕉」、「楊貴妃」、「天鼓」、「昭君」、「石橋」、「咸陽宮」、「項羽」、「三笑」、「張良」、「枕慈童」、「邯鄲」、「皇帝」、「猩々」があり、日本が舞台であるが中国関係の人物が主役となる「唐船」、「是界」。宝生流以外の中国関係では、「白楽天」、「東方朔」、「大般若」。「泰山府君」も中国の神様を扱っているという点では「唐物」と言えるでしょう。

観たことがあるのは、「鶴亀」、「西王母」、「天鼓」、「石橋」、「枕慈童」、「邯鄲」、「猩々」、「是界」。「鶴亀」や「猩々」はお目出たい曲で上演頻度は高く、「石橋」は歌舞伎にも上演されていますが、小書き(特殊演出)がついた連獅子は人気演目。特に私のお気に入りは「邯鄲」。河北省邯鄲市も現存し、中国との繋がりもダイレクト。「邯鄲の夢枕」とは、全ての栄華は粟飯の一炊(一睡)の夢(人生は粟飯の炊ける間に過ぎず、栄枯盛衰とははかないもの)。「人生ケセラセラ」と気が軽くなります。今まで何度か心の中で、シテ謡「盧生は夢さめて~」をリフレインさせてきました。中々哲学的で考えさせられる名曲です。

「唐物」がかくも多く作られた理由はなんでしょうか。これら「唐物」だけではなく、中国の故事来歴のエピソードや、さらには有名な漢詩も多くの謡曲の中に取り入れられています。「班女」、「三井寺」、そして大曲「道成寺」などかなりの発見頻度に驚きます。昔から日本人は中国文化に親しみ、多くを学んで来ましたが、能楽にかくも多くの中国のエピソードが取り入れられていることは、中国文化を学ぶことが日本人の教養の一部として自然であったということに他なりません。

しかし、現在の日本はどうでしょうか。明治以降欧米文化への傾倒が進みましたが、一方で精神文化的に学ぶべきものが現在の中国にはたしてあるでしょうか。日中間でささくれ立った事が多いことは至極残念です。現在でも能楽を理解・堪能することは、遠回りではありますが中国の歴史や文化の理解を深めることに繋がると信じます。日本人がかつて愛でた中国を、能楽を通じて遠回りしながらこれからも楽しみたいと思います。紙面が尽きました。この話題については、別の機会に再度書きたいと思います。                  

福井大学 大橋祐之 (2023年8月)

(参考文献:「宝生」第41号、「能狂言が見たくなる講座十撰」柳沢新二)