水無月の夏祓いが過ぎれば年の半分が過ぎたことに気付かされる。線状降水帯が発生し、集中的な大雨や水害が報道される毎日。以前は馴染みのなかった線状降水帯という現象が天気図に表示されると、これは天の帯状疱疹ではないかと思えてくる。
そんな中でもこの夏初めての朝顔が一輪咲いた。2009年から上海・北京、その後の横浜のベランダで育てた朝顔のDNAが繋がったと思い込んでいる。定点観測のように明石海峡の画像をほぼ毎日送ってくれるW氏から、アサガオ(朝顔・蕣)の生薬由来の漢語表現という「牽牛花」を教わり、七夕への連想が蔓のように延びていった。
春の頃に、京都今出川の冷泉家時雨亭文庫の後継者が決まったという記事があり、七夕には乞巧奠の主宰者となる人かなと想像した。たまたま、改称したばかりのThink Asia Seminar(華人研)のHP、『燕山夜話』の7月号「中国古代的婦女節」に漫文を「ひとそえ」した。古代の織姫伝説を近代の女工哀史に繋ぐ牽強付会の漫文を綴りながら、手芸技術(巧)の上達を願う(乞)、乞巧奠の起源を再認識できた。古代中国の習わしを現代の京都に繋いでいる冷泉家という存在には畏れ入るばかりである。時雨亭文庫には歌の家の務めとして「古今和歌集」や「明月記」などが護られている。
東京日日新聞(現在の毎日新聞社)の昭和13年7月27日号に、「世紀の記録・本因坊名人引退碁」という大見出しの独占記事が多くの写真とともに報じられている。江戸時代から続く本因坊家第21世本因坊秀哉が毎日新聞社に本因坊の名跡を譲った上で、引退することになり、予選を勝ち抜いてきた木谷實七段と「世紀の一戦」に臨む、と伝える内容である。その観戦記の執筆を川端康成が務め、解説役を呉泉六段(呉清源)が担った。家の芸を伝承する碁打ち名人と近代囲碁の実力棋士との勝負ということで江湖の注目を集めたようだ。
川端康成文学館での福田淳子昭和女子大学教授による講座でこの一戦の時代背景や毎日新聞による将棋名人戦の創設に続く、囲碁の最高権威を独占する戦略を教わった。観戦記は米国やドイツなどでも注目を集める一方、同じ時期の新聞資料には「オリムピック中止」「漢口暁の猛爆撃」「ソ満国境線緊張(張鼓峰事件)」などの大活字が眼をひく。観戦記の見出しにも「木谷の鋭鋒 果然爆弾を投ずる!」「木谷戦車隊中央に突入」「敵中の伏兵生還」などの見出しが躍って盤上の戦も時代の空気を煽る文字で修飾されている。
練度の高い福田教授の資料によると、川端康成は昭和13年12月28日までの全64回の観戦記を素材にした小説『名人』に仕上げた。大戦を挟む20年近い期間に改稿を繰り返していることが分かる。また戦後の全集版には観戦記の見出しは削除されている由。
引用された川端康成自身の「観戦記には読者をひくための舞文も多く、感傷の誇張がはなはだしく・・・」の文言に注目したい。
「舞文」(ぶぶん)とは「字典」などによると、自分勝手に言葉をもてあそんで、自分に有利な文章を書くこと。舞文弄法の四字成語となると、自分勝手な解釈で法律を濫用すること、とある。
観戦記の見出しや記事をすべて川端康成が書いたか、記者が手を加えたかは不詳だ。しかし、川端は昭和20年春、沖縄戦の頃に鹿児島県鹿屋基地に派遣され、訓練中の事故を知り、特攻を前にした学徒兵に接している。そして舞文と捉えられかねない寄稿もしている。
観戦記から小説『名人』に到るまでの改稿には、鹿屋体験が反映したかもしれない。(鹿屋体験について、従来の年譜には見当たらなかったが、昨年『生命の谺 川端康成と「特攻」』多胡吉郎:現代書館が上梓され、詳しい報告と考察を知ることができた)。鹿屋での戦争体験が戦後の『山の音』などの作品に水琴窟のように響く気がする。
昨今、各国で重要な法律が施行されている。本国会のスルーパス的な法案成立率に驚かされる。マカオ『国家安全維持法改正案』は昨年8月からのパブリックコメント募集や立法院審議を経て漸く成立(『東亜』7月号 塩出浩和氏の連載「マカオは今vol.76」に詳しい)。中国でも次々に安全保障目的の法律が公にされているが、5月1日から施行された『徴兵規則』については余り耳目を引いていない気がする。従来の志願制・選抜制からの転換であり、農村出身者ではなく大学生がターゲットになっているようだ。
それぞれの為政者による「弄法」がないか注視するとともに、それを伝えるメディアに「舞文」がないか気をつけたい。
藤原定家の『明月記』は本の名と、戦中から8月15日後の上海で生活体験をした堀田善衛の評論を通じて、「紅旗征戎非吾事(吾が事に非ず)」の一文で知られている。源平合戦・源氏内訌・承久大乱を同時代人として体験した定家が、戦の世を「非吾事」と諦観したのか、はたまたこれにも「舞文」の要素があるのか・・・ 七七事変の日を前にした「言わずもがなの記(多余的話)」の愚考拙文は反故の類いであり、どの文庫にも収まることはあり得ない。
(井上邦久 2023年7月)