【日中不易流行】『李強新首相と福井のご縁』

前回予告の『野尻眼鏡』中国盛衰記⑧:野尻眼鏡グループの20余年の中国ビジネス栄枯盛衰に関わった中国人のアナザーストーリーについては、次回以降とします。

先般3月26日付日経新聞電子版に「中国の李強新首相、地方から異例の出世 後ろ盾は習主席 日本人以上に浪花節との評も」という記事が出ました。3月に李強氏が新首相に就任したことに伴い、キーパーソンとして最近何かと関連記事が多いようです。日経新聞記事には、浙江省と友好提携を結ぶ福井県日中友好協会の酒井哲夫会長(元福井市長 89歳)が李強氏との交流エピソードを紹介されていましたので、急遽補足説明したいと思います。

既にご存じの通り、習近平主席人脈の中で最も重要なのは、浙江省関係者と言われています。いわゆる「之江新軍」です。習近平主席は、2002年から2007年まで約5年間浙江省の党委員会書記等を務めており、この時期の部下たちが今の習近平人脈の中心となっています。第14期全国人民代表大会第1回会議で3月11日首相に任命された中央政治局常務委員序列2位の李強氏はその代表格です。李強氏は浙江省、江蘇省でキャリアを積み、2017~2022年に上海市書記を務めていますが、2012年12月から2016年6月まで浙江省長を務めています。

現在中国No.2として注目を浴びている李強氏。改めて経歴を見ますと、まさに生まれも育ちも浙江省で生粋の浙江人とお見受けしました。生まれは、浙江省温州市瑞安県。あの「温州みかん」のイメージもありますが、中国最強ネットワークの「温州商人」の故郷で、中国で最大規模の眼鏡の産地として斯界では有名な場所です。私は眼鏡の市場調査で1998年に温州に出張したことがあり、その際「中国の眼鏡産業~浙江省温州市のケース~」をいうレポートをまとめました。もう随分昔の話ですが、改めて読み返しますと、温州人の気質ということで、①進取独立の気質に富み行動が早い。②利用できるものは何でも利用する。③商売となると判断したら見様見真似で直ぐ作る。④他人に成功の自慢をして、派手に金を使い「もっと儲ければいい」の発想。と分析しています。また、「中国商貿」という雑誌が「浙江商人は細心で頭が切れる。臨機応変、粘り強く経営の才がある。団結し互いに助け合う。特に、温州商人は真似がうまく、ブランド品の模倣に長けている。服装やバック、小物などの商売が得意」とあります。

現地での眼鏡業者幹部との会食では、レストランのVIPルームで高価なブランデーを呑みながら金儲け成功譚を披露され、袋から鷲掴みで札束をテーブル積み上げられた強烈な思い出があります。いずれにしても「リーハイ(厉害)な温州人」、「温州恐るべし」と底知れないパワーを感じた町だったと記憶しています。事実、その後廉価な眼鏡市場は温州系企業に席捲され、予言は当たってしまいました。

李強氏に話を戻しますと、その後1982年に浙江農業大学を卒業後、浙江省での勤務経験を積み、2002年4月に故郷である温州市党委員会書記に昇進。そして同年10月に福建省から習近平氏が浙江省副省長としてのその後の人生を変える運命的な出会いとなったのは有名なお話です。習近平氏は2002年から2007年まで、副省長、代理省長、浙江省党委員会書記等を歴任します。一方、李強氏は2004年から2011年まで浙江省党委員会秘書長の最側近として習近平氏を支えます。福建省勤務から来た習近平氏とプライドが高く癖の強い浙江人との間を何かと取り持った「地元っ子」が李強氏であったのでしょう。また、その時は温州人としての機転の良さを発揮した有能な部下だったのではないでしょうか。習近平氏は2007年3月上海市党委員会書記に栄転しますが、李強氏は2011年以降2016年の江蘇省書記就任まで、浙江省党委員会副書記、省長代理、そして省長と順調に昇進します。前説が長くなりましたが、まさに李強氏にとって人生最大の転換の浙江省勤務時代に福井との接点があったのです。

記事では、福井県の文化交流団が2012年9月14日浙江省杭州市を訪問した際に、直前の出発3日前の11日に日本政府が尖閣諸島を国有化し、中国ではデモが相次ぎ、日本人への暴行事件も発生するなど反日ムードの最悪のタイミングの中で、李強氏の指示の下で中国側の受け入れ態勢が大幅に変更されました。宿泊先は一般のホテルから浙江省が管理する公共施設へ。現地の芸術学校への訪問は取りやめ、学生らが施設に来てもらう形に変更。観光では、西湖遊覧で政府の船を手配したり、博物館は貸し切りにしたりと危機管理と日本側への観光を楽しむ細やかな配慮を行ったということでした。これについては、酒井氏の著書「近くて近い国へ 着眼大局・着手小局 中国との草の根交流 永遠の平和を求めて」(2016年6月1日 福井県日中友好協会発行)に以下の通り記載されています。

「振り返ってみると、私たちの団を迎えるに当たって浙江省の対応は微に入り細に入り、危機管理面では完全だった。また、交流についても可能な限り成功するよう、さらに観光でも日本側が満足するように極力つとめてもらったのである。これらの対応には、李強浙江省長(省対友協会長)が直接指揮を執られたことを後になって耳にした。ここであらためて各位にお礼を申し上げたい。謝謝。」(P.111「島」問題を乗り越えて)

 また、2014年2月15日に福井県・浙江省友好提携20周年に当時の西川福井県知事が訪中して李強省長と面談した際の事について以下の通り記載されています。

「李会長は冒頭に『この二十年間に世界の情勢は大きく変わった。また中国と日本も新しい展開に入った。しかし、福井と二十年間積み重ねてきた友情は変わらない』と述べ、以下浙江省の現状と展望に至るまで滔々と話された。さすが五千五百万人を率いる首長である。挨拶用のメモなど手にしていない。」(P.125 福井県・浙江省友好提携二十周年)

さらに、本年3月24日の福井新聞記事で酒井氏は、「気さくながらも芯のある行政マン。福井との友好を重視してくれた」、「日本や福井県との交流を大事にしていきたいという心意気に心からしびれた」、「物腰が柔らかく、細かな気配りができる傑物」と当時を振り返っています

さて、浙江省は日本の静岡県(1982年)、栃木県(1993年)、福井県(1993年)の3県と姉妹都市提携をしています。栃木県の交流の歴史を調べると、1993年の友好提携締のための萬学遠省長来県以来、知事と省長クラスの相互往来が続いています。ただ、特筆すべきは2006年に浙江省友好代表団(団長:夏宝龍中国共産党浙江省委員会副書記)を受け入れています。夏宝龍氏もまた習近平主席浙江省人脈の中で、現在は国務院香港マカオ事務弁公室主任の重責にあります。

習近平主席の浙江省でのキャリアは、外務省の資料を見る限り、党委員会副書記、書記、副省長、代理省長であり、何故か省長にはなっていません。この友好3県の往来をチェックしましたが、習近平氏に中国で面談した記録は見つかりませんでした。しかし、1990年代福建省勤務時代から多くの日本人訪中団を接待している可能性はあります。また、現在まで最低でも6回の訪日経験があり、北海道・大阪・兵庫・福岡・長崎・沖縄などに足跡を残しているとのこと。地方勤務時代には多くの日本人訪中団を接待し、若き日には日本人企業関係者と親しい関係も築いたのではないでしょうか。習近平氏も李強氏も今や手が届かないほど偉くなりました。しかし、若かりし頃はもっと距離が近い方々であったと思います。今回、李強氏の件で1990年代からの浙江省や杭州市との往来を振り返り、様々な人物の資料を読み返す機会となりました。お世話になった中国人の方々、井戸を一緒に掘った方々との草の根の交流がそこにはありました。私にとっても楽しい思い出がいっぱいです。

日中国交正常化50周年を迎えながらも、日中関係がギクシャクしている昨今。最近は何かと厳しい表情の強面の李強首相ですが、今の立場上ではやむを得ないと気の毒に思います。往時の写真は大変魅力的な笑顔をしています。強大な権力が集中している習近平主席との関係性・距離感が何かと注目を浴びる李強氏です。個人的にはまだ見えぬ温州人の血を引くお人柄と流れに身を任せる(キャリアドリフトする)しなやかな生き方に注目しています。

「上海に住み授かりし“天地人”友諠の鼎永久に建てなん」

これは、私が1999年2月上海離任の際に読んだ惜別の拙い歌です。やはりいつの時代も「人の和」が一番大事だと思います。古い友人との友諠は永遠でありたいものです。改めて時の流れとともに「不易流行」を噛み締めています。 

福井大学 大橋祐之 (2023年4月)


2014年2月15日 友好提携20周年にて西川知事が李強省長を表敬訪問
(福井県HP 2014年7月2日更新)より

「近くて近い国へ 着眼大局・着手小局 中国との草の根交流 永遠の平和を求めて」
(酒井哲夫著 2016年6月1日 福井県日中友好協会発行)より