いまさらですが、少子高齢化の話題を取り上げてみたいと思います。最近、「Plan 75」という邦画を見ました。正直、映画の出来の良し悪しより、その写実的な内容から大きな衝撃を受けました。高齢者の働きや切り詰める生活から、制度の不備や若者の絶望感、さらに外国人労働者の実態まで、映画の描写はあまりにもリアル過ぎて、文芸作品の鑑賞というより厳しい現実に思い知らされることになってしまいました。これは社会の未来かと思うと、暗い気持ちに陥ります。
図1 高齢化社会の対応は日中にとって最も共通性の高い課題
ご承知の通りですが、日本はいま高齢者(注:65歳以上)の人口が30%近くなり、既に超高齢化社会に突入しています。一方、中国はというと、高齢者人口の比率はちょうど日本の半分、15%弱になっています。しかし、中国はいまのペースでいくと、あと30年もすればいまの日本と同じく超高齢社会になると予想されます。また、中国の総人口は日本の10倍以上であることから、高齢者が4億人以上になります。これは非常に大きな社会的課題になると思われます。
まず、高齢者の一部とは言え、介護が必要な人は激増してくると予想します。このような状況に対応するには、財源、人材、そしてインフラ整備(施設)が必要ですが、どれも課題山積です。日本の場合は介護保険制度が2000年実施以来、介護費用が年々増えていますが、財源として個人負担分(40歳以上の対象)と国負担分(注:中央政府と地方自治体)の折半で賄っています。一方、中国は介護保険の制度がありません。一部の地域では試行していますが、国民皆保険になっていません。現状では、介護施設やサービスを受けることができず、介護は家族頼りになっており、その負担は大きく、重く圧し掛かっています。
次に介護人材の不足が深刻な状況です。日本は介護福祉士という国家資格制度があり、実務と知識の両方を備え付ける人材が介護業務を担当していますが、中国はそのような資格制度がなく、農村部からの出稼ぎ労働者がその役割を担っているのが実情です。人材不足は日本も中国も同様ですが、前記のように、これから増えてくる要介護の高齢者に満足できる介護サービスが提供できるか、という大きな課題を抱えています。
ところで、ちょっと待って下さい。つい最近まで、「中国最大の問題は人口が多過ぎ」というのはほぼ全国民のコンセンサスだったのを忘れてはならないと思います。裏付けのない噂話ですが、毛沢東は晩年、孫が生まれた報告を聞いた時、「また食べる口が一人増えたな…」と呟いたとのことです。その時代(1970年代)、中国の人口は8億人でした。中国を訪れてきたアフリカの首脳はそれを見て、「8億人?!一日三食では24億食を用意しないといけない」と感嘆したエピソードがありました。そこから生まれた「一人っ子政策」(中国語「計画生育」)が多くの中国人から賛同を得たのも事実です。
図2 一人っ子のポスター(1980年代)
1980年代の一人っ子政策は1990年代、2000年代になると、今度は「421家族」という構図になってきました。つまり、1人の子供に2人の親、さらに4人の祖父母という家族構成で、過保護された子供が「小皇帝」と呼ばれるほど、甘やかされる存在になりました。後に「80後」や「90後」と言った世代になり、中年になった今では、少子高齢化の社会状況だと想像できたのでしょうか。
しかし、そんなことを嘆くより、いまやこれからの現実問題に直面せざるを得ません。そこで前記の三番目の課題として、インフラ整備(介護施設やサービス)が挙げられます。統計数字によると、2019年現在は介護施設数(老人ホームなど)が16万カ所、ベッド数が750万床に上りました。先進国では高齢者の5%を上回るベッド数が必要とされることから、高齢者が2億人超の中国では1千万以上のベッド数という計算となり、現状ではまだ満足できない状況は明らかになりました。
図3 高齢化社会:社会全体が支え合う必要ある
日本はこれまでに、終戦後のベビーブーム(2回)、団塊の世代、経済の高度成長などを経て、いまの超高齢社会になっています。中国は日本と全くパターンではないものの、1950年代末の大躍進、3年自然災害(飢饉)後のベビーブーム(中国版「団塊の世代」)、一人っ子政策を経て、いまの高齢社会突入になってきました。国の政策やマクロコントロールから、高齢者対応やライフスタイルまで、日中の共通課題が多く存在しています。コロナ明けを機に、日中交流や協力における更なる深化は必要があるのではないかと強く感じており、良い展開になると期待します。
雷海涛(2023年4月)