『眼鏡の聖地鯖江と温州』

日本の眼鏡の9割以上を生産する福井県鯖江市。福井県は今でこそ電子・デバイス製品が工業出荷高1位ですが、昔から繊維と眼鏡が地場産業として栄えてきました。特に眼鏡は、生産枚数は廉価品の中国製に押されて減少していますが、産地統一眼鏡ブランドの「THE291」の立ち上げ、鯖江市行政が「めがねのまちさばえ」を地道にPRしていることもあり、めがねミュージアムは「眼鏡の聖地」として、「Sabae」ブランドも斯界では世界的に有名になっています。最近では、コロナ禍で中断していますが、聖地巡礼客も増え、お忍びの有名俳優が特注眼鏡をオーダーしています。

さて、「世界の三大眼鏡産地」とはどこでしょうか?

まず最初に、イタリア北部ベェネト州の山岳地帯でオーストリア国境に近いベッルーノ県。世界最大の眼鏡メーカーのルクソオティカを始め、世界的メーカーの工場が集積しています。以前訪問したことがあるのですが、山に囲まれた長閑な田舎町に巨大メーカーが存在していることに驚くとともに、鯖江に近い雰囲気を感じたこと覚えています。何故にイタリアの田舎町に眼鏡? については、ジェトロが2013年に「イタリア産地の新興市場開拓 ベッルーノの眼鏡産業」と題して調査をしていますので、この場での説明を割愛します。

そして、日本の福井県鯖江市。三番目に、中国の浙江省温州と言われています。広東省東莞周辺にも眼鏡メーカーが集積していますが、ルクスオティカの日産15万枚生産する巨大工場を核として、鯖江企業や香港企業等の外資の生産拠点ですから、中国国内企業の産地では温州ということになります。

温州は郷鎮企業いわゆる「温州モデル」発祥の地。また日本の温州(うんしゅう)みかん原産地と言われています(諸説あり)。昔から「商売上手の上海人も尻尾を巻く」と言われた進取独立の気質に富み中国一の商売人と言われている温州人(私は商売上手の寧波人から聞きました)。

1998年に友好提携にあった浙江省政府の紹介により温州に出張して眼鏡業界を調査した経験があります。業界団体である「温州市眼鏡商会」を訪問して、数社ヒアリングをしています。1998年当時で、会員数210社、総生産高4億人民元でした。現在、ネットで検索すると現在もこの商会は存在していて、現在の会員数は約500社、2020年で総生産高約50億元(約750億円@15円)超と記載されています。この20年間に温州産地の生産額が約12倍になっているのです。一方で、鯖江産地の眼鏡関連製品出荷額は、1992年の1,166億円から2016年の691億円(福井県調べ)と大幅減少しています。大雑把に言えば、この20年で温州は12倍に拡大、鯖江は半分と生産規模が逆転しています。

温州で眼鏡産業が発達した理由としては、以下の通りです。

中国には元々上海を始めとした大都市には国有眼鏡メーカーが存在していました。しかし、上海における「上海眼鏡総廠」では、品質・生産効率が劣っていたために、1990年代始めに「上海鐘表総廠」(時計関係の国有企業)に吸収合併されてしまいました。元来デザイン力や新素材への迅速な対応が問われる眼鏡産業は、機動性・融通性に乏しい国有企業に合わない産業であるため、国有眼鏡メーカーが衰退する一方で、温州のような1970年代以前まったく眼鏡産業が無かった地方都市が、その旺盛な民力をバネに最初はサングラス製造から、より高価格な眼鏡枠製造へと進化して、中国で有数の眼鏡産地となったと言われています。1970年代に、サングラスの製造に目をつけた初代温州市眼鏡商会会長が、独自に見様見真似で生産を開始したのが眼鏡産業勃興のきっかけで、その後他の温州人が追随しました。鯖江では戦前「村の次男坊三男坊の生活を安定させたい」との増永五左エ門翁の思いから、大阪から眼鏡枠製造技術が持ち込まれました。最初に井戸を掘った人の同じ進取独立の着想と努力が産地の形成と発展につながっています。

当時の調査レポートでは、「今後温州が福井眼鏡産地の強力なライバルとなるか、もしくは共存共栄のパートナーとなるかは現状見極めがつかないものの、将来的な眼鏡の中国市場さらには世界市場を考えるとき、その品質向上と生産規模拡大のスピードはいまや無視できない」と鯖江産地へ報告しました。

20年余経って、眼鏡産地の規模としては、鯖江と温州は逆転してしまいました。鯖江では多くの眼鏡完成品メーカーが破綻して、眼鏡産地は縮小しましたが、世界の眼鏡市場では、廉価品・低中級品は中国製、チタン製を中心とした中高級品は日本製という住み分けが出来つつあります。現在では、「Made in China」が世界市場を席捲するとともに、皮肉なことに「Made in Japan」、「Made in Sabae」の高品質が見直されています。ことここまで来ると、一周回って市場での共存共栄関係が成り立っていると言えます。

そこに目を付けたのが、既に東莞にて従業員1万人規模の工場を持ち、「RAY BAN」や「OLIVER PEOPLES」やライセンスブランドの「CHANEL」、「PLADA」等世界的ブランドを持つ売上高2兆円規模の世界最大の眼鏡会社ルクソオティカ会長のレオナルド・デル・ベッキオ氏です。高級ブランドを鯖江眼鏡職人へのオマージュにて更に高品質でハイエンド化するという彼のグローバル戦略の中で、鯖江産地への積極投資を開始しました。今鯖江ではイタリア巨大企業の進出により、中国企業も絡んで新たな局面が到来しています。鯖江をフィールドとした新たなプレーヤーの登場に、私は何やらワクワクしています。

字数もオーバーですので、このお話はまた次回とします。

 

福井大学 大橋祐之 (2021年8月)