ビジネス中国語講座の春学期で習う用語に「供不応求」があります。
需要に供給が追い付かない状態になり、通常は価格が上がると説明されます。その逆は「供大(過)於求」であり価格が下がります。
具体的な事例として、昨春と昨夏以降のマスクの例が分かりやすく、直近では、主産国のコロンビアの天候悪化などによるカーネーションの切り花の高騰がありました。母の日の翌日、花屋へ行くとカーネーションが30%以上の値引きで投げ売りされており「六日の菖蒲、十日の菊」という諺の再現を目の当たりにしました。
スエズ運河での巨大コンテナ船の座礁事故が耳目を集めました。
コンテナの需給逼迫が続き、3月中旬には上海港から米国西海岸港(LA/LB)への40Fコンテナ運賃が4000ドルとなり、前年同期比(中国語:「同比」)2.5倍という海運市場最高の水準に達しました。米国新大統領による経済刺激策や中国製造業の息継ぎ抜きの恢復(コロナ対策のため春節休暇の帰省ができない工場・港湾労働者が就業継続)が背景にあるとのことです。スエズ運河での滞船がコンテナ便の到着遅れや空コンテナの需給バランスの悪化に拍車をかけている中、クリスマス商戦用の対米輸出の増勢が目前に迫っています。
アジア研究所中国塾の田中塾頭は、中国の統計数字を話題にする折に、中国で多く使われる「同比」は一年前の同時期との比較であり、三ケ月前との比較(中国語:「環比」)と混同しないようにと注意を喚起されます。2020年1~3月期の中国経済は壊滅的な状態であり、2021年1~3月の成長率の対前年同期比での大幅ジャンプアップも頷けます。中国経済は2020年末から世界に先駆けて恢復したので、2021年末の成長率の「同比」は穏やかな伸びとなり、1~3月期のように刮目させられることはないでしょう。
2月の拙文で三浦春馬が五代友厚を演じる『天外者』をテーマにし、1~3月に渋沢栄一関連の情報がメディアに溢れ出ることを示唆しました。NHKの人気番組である「ブラタモリ」、「鶴瓶の家族に乾杯」そして「100分で名著」は挙って渋沢栄一を取り上げ、大河ドラマの宣伝番組と化してしまいました。それなりに面白いとは思いますがなんとなく「供大(過)於求」の印象が残りました。
渋沢栄一が一族郎党に伝えた口演録の『雨夜譚(あまよがたり)』(岩波文庫)は、お祖父さんの若い頃からのエピソードを孫に聞かせるような語り口です。ドラマと並行して読んでいると、脚本がかなり忠実に「うやたん(一族内での呼び名)」をなぞっていることが分かります。後の幸田露伴らによる渋沢伝も概ね『雨夜譚』をネタ元にしているとのことです。
この口演会の塾頭格が阪谷芳郎(渋沢の次女琴子の配偶者)であり、その芳郎の孫の阪谷芳直は北京(当時は北平)で中江丑吉に私淑し、北京内壁(今の第二環路)の東南の端、東観音寺胡同東口9号(北平市図と足で探して現在の貢院西大街9号だろうと目星を付けました)の中江宅に「若いともだち」として通っています。
阪谷芳直は海軍主計科士官として敗戦を迎え、戦後に日銀・輸銀やアジア開発銀行での仕事の傍ら、中江丑吉に関する編著作を残しています。
中江丑吉の書簡集以外のドイツ哲学や中国古代政治思想史の著作を筆者は読んでおりません。もっぱら阪谷芳直らの追悼文章や回想録に頼って中江丑吉の像を結びました。手元に残した本は1980年前後の出版であり、「人到中年」の惑いの頃に、中江丑吉や阪谷芳直に羅針盤役、まさに指南をしてもらった記憶が甦ります。
某日、中江丑吉が阪谷芳直に「近代日本のリーダーでは、誰が後世に残ると思う?」と訊ね、「君は渋沢栄一と言いたいところだろうが、こっちは君の曽祖父はあげないな。オーソドックスのキャピタリストとしては、やっぱり岩崎弥太郎の方が残るぜ・・・」というやりとりが『雨夜譚』の解説にも引用されています。その岩崎弥太郎が亡くなったのが1885年(明治18年)2月7日、五代友厚も同年9月25日に逝去しています。因みに渋沢栄一の没年は1931年(昭和6年)で、二人より46年も長く生きて、事変後に亡くなっています。
昭和史研究家の先輩から清水晶『上海租界映画私史』(新潮社)を届けていただきました。
巻末の中華電影聯合股份有限公司の作品の一覧表を見ると、1944年に大映との日華合作『狼火は上海に揚る 春江遺恨』(稲垣浩・岳楓共同演出)が製作されています。幕末上海に赴いた高杉晋作(坂東妻三郎)や五代友厚(月形龍之介)が、太平天国の志士沈翼周(梅熹)と肝胆相照らし、協力して租界勢力を駆逐し、アジアの夜明けを目指すという都合の良い筋のようです。
月形龍之介も黄門さま役ではなく、ニヒルな美男剣士役が似合っていた頃でしょう。坂東妻三郎の三男が田村正和である事は言わずもがな(多余的話)ですが、1943年に生まれたばかりの正和を残し上海へ長期ロケに赴いたことになります。
平時では上海から長崎まで約30時間の運航が、潜水艦の攻撃を避けるため大陸沿岸を三昼夜かけて博多港に着いた、とこの本には書かれています。
井上邦久(2021年6月)