四.「龍口奪糧」~大急ぎの収穫~
農村では、「三つの夏」即ち、夏の刈り入れ、夏の作物管理、夏の種まきの期間が一年の中で最も苦しく、最も疲れ、最もやりきれない時期である。毎年その頃の十日余りは、女は男並みに扱われ、男は家畜のように働かされる。
毎朝3時、熟睡している我々は作業開始の鐘の音でたたき起こされ、疲労困憊、ふらふらした足取りで、気の進まぬまま鎌を手に麦穂が実った畑へ向かう。隊長の指揮の下、一列に広がって、一畝(うね)を一人で刈り取っていくのだ。幅1.5m、長さ500m強は、少なくとも1ムー以上はあるのに、午前10時までに刈り終わらなければならない。やれと言われたらやらねばならない。手のひらに唾をプッと吐きかけて、腰をかがめて麦畑へ潜り込んでいく。
麦の刈り取りは肉体労働ではあるけれど、同時にちょっとした技術も必要である。俗に言う「何事も形から」というわけで、人生で初めての麦刈りをする知識青年たちは、公社員が教えてくれた要領どおりに「取っ組み合い」を始めた。
前に出した足は曲げ、後ろの足はぴんと伸ばし、可能な限り遠くの方から左手で麦の穂の下の方を抱き寄せ、右手の鎌を茎にできるだけ垂直にあてて、その流れで鎌を手前に引くと、「サクサクサク」という音と共に麦の穂が次々に倒れていく。
もちろん、初心者の私たちは左右の手のテンポが合わずに、手の指を切ってしまうことがよくあったが、これはそんなに大したことではない。太陽が昇ってからが最もつらい時間となる。針状の麦の芒(のぎ)が、顔や腕や手にめったやたらに細長いひっかき傷を作り、汗が染みるとよけいに痛痒く、いらいらした。
数時間の作業ですっかり疲れてしまい、何度も腰を伸ばし、服の裾で顔の汗をぬぐい、前方を見てしまう。経験のある人はできるだけ顔を挙げず、腰を伸ばさず、頭を低くして目の前だけを見る。こういった作業では心理的な限界値が低くなって、見れば見るほどガックリし、落胆しやすいからだ。
絶望的に長いと思われた畝の麦も、ついに決められた時間内に刈り取り終わった。
振り返ってみると、束ねて積み重ねられた麦が馬車に載せられ、麦を運ぶ馬車はそれぞれが金色の砂丘のように、広場へ向かって移動していく。別の生産隊の畑を見ると、麦の穂が見渡す限り風にゆらゆらと揺れている。これはうれしく感動的な光景だ。その時、こんな歌が聞こえた気がした。
『麦波滾滾閃金光、綿田一片白茫茫、豊収的喜訊到処傳、社員人人心歓暢』
♪麦の穂波はザワザワと金色に光り、綿の畑は一面に白く輝く
♪豊作の嬉しい知らせは駆け巡り、公社員たちの心は弾む
これは1965年9月第二回全国運動会の開会式で行われたマスゲーム『革命賛歌』中の農民が登場する場面の曲である。今、思い返してみると、当時、きつい労働の中にいた私たち知識青年は、この歌詞のように美しく、キラキラした感じではなかった。
麦の刈り取りは、農村の公社員公認の「世の中で一番辛い仕事」で、私自身もまったく同感である。そしてそれは一日の農作業の中のほんの一部分なのだ。刈取りが終わると、私たちは広場に集合し、小麦を脱穀し、日干しにする。雨が降ってくれば、防水シートやむしろで小麦の粒をしっかりと覆い、雨に濡れてカビが生えないようにしなければならない。
不味い昼食をすばやく口に押し込み、早朝に刈取りの終わった麦畑へ取って返すと、その頃に畑はすでにトラクターでの鋤き返しが済んで水田になっていた。
私たちはくるぶしまである水の中に入って、田植えを開始する。一人当たりおよそ1ムーの稲を植え切るまで仕事は終われない。公社員は、「晩稲は7月前に植えなければならないから、時間との競争だ。稲の成長期間を確保するためさ」と言っていた。
水の中での田植えは、麦の刈り取りよりは若干涼しかったが、女の知識青年がヒルに噛まれて発する甲高い声が時おり聞こえてきた。
夜もかなり遅い時間になり、私たちは肩を落とし、足を引きずり歩く気力さえ残っていなかった。それでもまずは広場へ戻らなければならない。何かの作業が私たちを待っているかもしれないからだ。
毎日毎日繰り返される、半月あまりのこの疲労感は、今になっても忘れられない。作物を植えたこと、麦を刈り取ったことがない人にはこの気持ちはわからないだろうが、それはまさにこの句がぴったりなのである。
鋤禾日当午 畑仕事をしていると真昼の太陽が照りつけ
汗滴禾下土 汗が作物の下の土に滴り落ちる
誰知盤中餐 食器の中の米や粟一粒までも
粒粒皆辛苦 すべて農民たちの苦労の賜物であることを誰が知っているだろうか
(唐・李紳「憫農」二首のうちの一首)
あなたにはわかるだろうか?私にはわかる。しかも、毛主席に誓って私は身に染みてわかっている。それは汗水たらしてやっと収穫した食糧なのだ!中国の農民はなんと骨が折れることだろう。なんと苦難に満ちていることだろう。なんと偉大なことだろう!私たちは彼らにどれだけ感謝しても、少しも感謝し過ぎということはないのである。
(2017/08/28掲載)