啓蟄(けいちつ)は、春になり、大地が暖かくなるにつれて、冬籠りしていた虫が、もぞもぞと這い出してくる時節を指します。北京でも最高気温が10℃以上となり、虫ばかりではなく、我々人間も寒い冬からやっと解放された気分になり、外歩きを始めようかと思うようになります。
さて、今までは北京の伝統が残る旧城内(第二環状線の内側)を中心に紹介してきましたが、今回は暖かくなったことでもあり、外に飛び出し、北京にある十六の区の一つ通州区を紹介します。
【通州温楡河にて】
通州はのどかな田園から北京のベットタウンとなり、今では北京市政府の移転先に決まり、大規模な開発が進められています。通州区の位置は北京の真東約20㎞離れた場所にあり、面積907平方km、人口約160万人(2016年)です。
一方、北京市内(第二環状線、第三環状線内)は、「都市病」といわれる人口集中、交通渋滞など様々な問題が発生しました。そのため、中国政府と北京市政府は2015年から北京市政府庁舎の通州移転を計画しました。
なぜ通州が北京市政府の移転先として選ばれたかと言いますと、北京のメインストリートである長安街を東に真っ直ぐに行った先にあること、河川や公園があり緑が豊かなこと、現在中国政府が進めている「北京・天津・河北の一体化計画」のなかで通州は天津・河北と接する位置にあるため等々と言われています。
【手書きの北京地図で恐縮です。】
この地図を見て頂くと、北京の環状線が左側の第二から第六まで、北京旧城内を囲むように建設されていることが分って頂けると思います。第二環状線は旧城内の城壁を撤去して建設されたもので、全長32.7km、全体が立体交差化したのは1992年です。1992年と言う年は、鄧小平の南巡講和があり、中国が本格的に対外開放を始めたときです。その後、第三、四、五、六と次々に建設されました。隣同士の環状線の間隔は、第二と第三の間は狭く、それから間隔が少しずつ広がり、第五と第六の間はとても広くなっています。更に、第七環状線が2019年開通を目指して建設中です。第六までが北京市内に止まっていましたが、第七環状線は北京を飛び出し河北省のなかで北京を大きく取り巻くように計画され、一周はなんと全長940㎞です。このような環状線の間隔の広さや全長というものも中国の経済の発展を物語っていると思います。
【通州のメインストリート新華路】
次は地図の右側を見て下さい。通州です。見て頂くと分かるとおり、通州は南北に流れる河川と東西に走る北京から続く幹線道路の交差する場所にあります。河川の西側(左側)が昔からの通州の市街地で、南北に走る道路が新華北路、新華南路といい、昔からのメインストリートです。
【通州区内のマンション建設現場】
新華南路をしばらく南下したところに、ユニバーサルスタジオ(中国語=環球影城)の建設予定地があります。現場は高い塀で囲まれ、何も見ることが出来ませんでしたが、建設機械が動いている様子もなく、クレーンは一本も立っていません。2019年或いは2020年の開業を目指していると言われていますが、間に合うのかよそ事ながら心配になります。
【ユニバーサルスタジオの建設現場。塀は高く中は何も見えない】
通州市街地の東側(右側)、川を越えたところが運河東大街といい、“北京行政副中心”の建設予定です。2月24日、中国の最高指導者である習近平総書記がここを視察しました。ほぼ同じ時間、同じ場所に、私もスタッフと一緒にノコノコと訪れていたのです。彼が来るとは当然ですが全く知らない我々は、運河東大街に入ろうとしたところで交通警官に制止されました。口達者な運転手が色々と説明し、やっとのことでこの新しく整備された道路に入りました。少し走り、北京市政府庁舎と言われる建設中の建物を車から降りて写真を撮ろうとしたところ、ちょっと怖そうな黒服の青年が飛び出してきて、
「車から降りるな!」
と叫ぶのです。近くにいた数名の黒服もこちらに向かってきましたので、私は急いで車を走らせました。注意して見ますと、道の両側に私服警官が10mほどの間隔で立っていて、何とも言えない緊張感が漂っているのです。そのため、私は車を停車させずに、走る車の中から写真を撮りました。しばらく走り、運河東大街が終わったところで、車をUターンさせたときに、パトカーが先導して、十数台の車列が走り去ったのです。これは何事かあると思い、当日夜のニュースを見て、初めて彼が来たと分かりました。
【北京市庁舎と言わる建設現場】
北京政府庁舎の移転先である“北京行政副中心”(運河東大街)では、北京市四大機関と言われる北京市共産党委員会、北京市政府、北京市人民代表大会、北京市政治協商会議をはじめ北京市政府の関連機関の建物が建設されています。この四つの重要機関ではそれぞれ多くの職員が働いています。北京市政府だけでも、例えば北京市発展改革委員会、公安局など合わせて55機関があります。職員の数は公表されていませんが、数万人或いは数十万人に上ると思われます。移転に際して、全ての職員が移転するとは限りませんが、相当数の職員は通州に移転することになります。そのため、これら職員のための住宅や宿舎の建設も行われています。このように、現在、通州の土地に対する需要が高まっているため、一般企業や市民の土地購入は、ほとんど出来ない状況になっています。更には、通州にある企業や工場の立ち退きが始まっており、そのうち、日系企業数社に対しても立ち退きが要求され問題となっています。
【運河東大街で車の中から撮った建設現場】
クレーンが林立している様を見ますと、今では中国有数の都市になっている上海浦東新区を思い出します。浦東新区の開発は1990年代から始まりましたが、当時は何も無いところに様々な建物の造成が急ピッチで行われていました。ここでは、まだ貧乏な中国がアジア開発銀行などから融資を受け、外国資本の誘致も行いながら開発を行ってきたのです。しかし、“北京行政副中心”の開発は、お金持ちになった中国が国家資本を投入し、外資企業を追い出しながら進めているのです。1990年代当時と今では、時代背景や国際、国内の経済状況など全く違いますが、成功の成否は昔と変わらず中国人自身の姿勢にあるのではないかと思います。
【建設現場に掲げられた“習近平同志を核心とする……”と書かれたスローガン。北京でよく見られるようになりました】
北京で生まれ育った生粋の北京人である知り合いの市職員に、
「北京行政副中心が完成したら、平日は通州の宿舎、休日は北京の自宅に帰る単身赴任となるのですか?」
と少しからかいながら聞いたところ、
「まだ具体的なことは明らかになっていないので、何も決められない。なるようにしかならないさ。」
と、ぶ然とした表情で答えてくれました。
文・写真=北京事務所 谷崎 秀樹
★本コラムについてはこちらから→【新コラム・北京の二十四節気】-空竹-
★過去掲載分:
小寒-中国最初の映画館-2017/1/5