【多余的話】『堀内利国』

12月12日は舟木一夫の誕生日。80歳の節目を迎え元気に舞台を務めている。1944年暮れに愛知県尾張一宮市萩原町で生まれた戦中派である。最近夕刊フジが何度か舟木一夫特集を掲載している。2025年1月31日号で休刊(廃刊)と伝えられる夕刊フジ編集長等の要職を歴任した大倉明氏は、長年舟木一夫に注目され評伝を二度までも出版されている。斬新な夕刊紙時代を牽引した紙媒体メディア文化の潮目と、舟木一夫『高校三年生』の「残り少ない日数を胸に~」の歌詞が大倉明氏の胸にも去来していることと想像している。

舟木一夫の誕生日は限定的に知られているが、翌日12月13日が「ビタミンの日」であることは知らなかった。1910年(明治43年)、鈴木梅太郎博士が、米糠から抽出した成分を「オリザニン」と名付け、学会で発表した日に因むとのこと。のちにビタミンB1として知られ、摂取が進められるまで、脚気は結核とともに亡国病とされていた。脚気は主に陸軍で蔓延していた(海軍は英国式パン食。麦食だった刑務所では脚気は少なかった)という。その対策として麦食を奨励したのが堀内利国軍医官だった。1884年に大阪鎮台で麦食を開始して脚気罹患率が激減したが日清戦争には間に合わなかった。

堀内利国の壁になったのが森林太郎(鴎外)であることは良く知られている。ドイツ留学帰りの森は脚気を伝染病と見做し、大阪の堀内利国らの主張を慣習的漢方的であると見下した時期があったのではなかろうか?1897年に堀内利国は逝去、真田山陸軍墓地に葬られた。(「旧真田山陸軍墓地見学のしおり2」に詳しい)

「NPO 法人旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」の各位の支援協力のお陰で、11月のTAS第173回例会はいつもの大阪駅前第2ビルから真田山に会場を移して、堀田暁生先生による概説に続き4班に分かれて墓地見学、更に集会場での解説と質疑応答に対応いただいた。堀田先生の解説と上記「しおり2」が大好評であり、覚悟した「雨天決行」も杞憂の小春日和となった。

平時の病死や徴兵直後の半年以内の「生兵(せいへい)」時代に死亡している事例の多いこと、清国兵・ドイツ兵の俘虜の墓があることも含めて、西南戦争から第二次大戦までの墓石に刻まれた文字は重く深い記録だと今回も感じた。

その少し前に、万博記念公園内の国立民族博物館(みんぱく)で客家文化展に合わせた台湾映画『一八九五』を観た。日清戦争での帰趨が決まり、下関講話会議の締結を受けて、台湾・澎湖の接収と抵抗の映画だった。台湾征討近衛師団長の北白川宮能久親王と軍医副官としての森林太郎の会話シーンも興味深かった。鴎外全集には『能久親王事跡』もあるが、親王は迷路に惹き込まれそうな数奇な流転を経て、台湾の遠征先でマラリアに罹り死亡している。

「虎に翼」の解釈について、NHK製作者からのコメントや漠然と「鬼に金棒」に似た意味だと思っていたという感想を多く頂いた。何気なく使っていて分かっているはずの言い回しも、よく考えると奥が深くて「鬼」に「金棒」の「鬼」は「金棒」を持とうが持つまいが恐ろしい存在であり、「虎」もまた怖い。

諸説ある中で、虎党の上海人弁護士から今は「錦上添花」と同じ意味に解釈しているという穏当なコメントがあり、同じく故郷上海と留学ご縁の東京を毎月往還しているビジネスパーソンからは、・・・・「虎に翼」(如虎添翼)はもともと貶義詞ですが、私たちの世代になると、 褒義詞として使うことが多いです。朝ドラの題名に相応しいのではないかと私は思います。浅はかな感想で申し訳ございません。いよいよアメリカの大統領選ですね。それによって経済の行方も左右されるので注目していきたいです。・・・とあった。

 先月、韓非子まで引っ張り出して小難しく解釈をしたのは浅はかだったと感じさせるような婉曲な表現で、言葉は生き物で時と場所で使い方も変わるものですよ、と語る上海女性の柔軟性を教わった。この方には2025年6月のTASセミナーで「上海人から見た中国人、そして日本人」をテーマにしてもらうことを楽しみにしている。

 米国では「ハリスの旋風」は吹かず、「トラに翼」が与えられた。高齢舌禍の多い大統領が職務を継続できない場合、副大統領が自動的にトップに立つことになるシステムなので危惧を感じている。

ボストンの本屋でJ.D.ヴァンスの『ヒルビリーエレジー』を購入したのは、つい先日のように思っている間に、ラストベルト出身の作者は副大統領になろうとしており、大統領の座も窺っている。

これが米国の一面なのだ。

そんな「言わずもがなのこと(多余的話)」を思いながら岡山へ。駅前から両備バス(140円)で後楽園に隣接した県立博物館で開催中の「緒方洪庵―その生涯と郷土岡山」特別展へ向かった。

多くの興味深い資料展示とそれに付された丁寧な解説や充実した図録編集を担当された平田良行学芸員は温厚で穏やかな方だった。図録の家系図、洪庵・八重の五女九重の項には堀内利国妻とあった。

(井上邦久 2024年12月)

セミナーのご案内
■開催日   :2025年1月11日(土)午後 2時~4時
■講演タイトル:「留用」についての考察と体験
■話題提供者 :新宅久夫氏
■参加費   :一般2000円/学生500円
■申込方法  :sec@kajinken.jp
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