7月初めの暑気と湿気に中りました。
日本語の熱中症を中国語では「中暑」、暑気に中ると表現します。
中国語の「中Zhong」は第1声(高平音・─)で「中国」「中央」などセンターの意味を表す単語が多くありますが、「中Zhong」を第4声(下降音・\)に発音させ、中(あた)るという動詞用法にすると、「中毒」「中風」「中傷」という困った状態の言葉が並びます。
「熱」と「暑」の使い分けを正確に説明することは手に余ります。荒川清秀氏が『漢語の謎』第4章(なぜ「熱帯」は「暑帯」ではないのか?)で「熱」と「暑」を比較・分析した説明をしています。荒川氏は『近代日中学術用語の形勢と伝播』(1997・白帝社)で、日本と中国の用語交流の経緯や歴史を著し、博士号を得られました。
健康過信と睡眠不足による「中暑」に陥った反省から、その後はおとなしく、「躺平」状態で夏をやり過ごしています。
中国社会の新語である「躺平」はこの数年注目され、「寝そべる」と訳されています。多くの報道は、中国の若者が就職も勉強もせず漫然と横になっているだけの印象を感じさせてきました。
夏場は外出を控えて横になっているだけの日本の高齢者の多くにとっては、まさに「躺平」=「寝そべる」の訳が当てはまりますが、この言葉の解釈と使用範囲はそれほど単純ではなさそうです。
先月に触れた『闇の中国語入門』の第2章「社会の闇」の第4節「無為と抵抗」の項にも「躺平」が取り上げられています。そして、他決定躺平一段時間、重新審視人生的意義。(彼はある期間を通して寝そべって、人生の意義を再考することに決めた)という例文が添えられています。この例文のような意識的に一定の期間を決めて人生の意義を再考する「躺平族」は多くはないでしょう。しかし、無気力で退嬰的で路上で寝そべっているだけという報道による思い込みは改めたいと思います。少なくとも1970年前後の日本で、睡眠薬遊びやシンナー遊びをしながら路上でタムロしていた「フーテン族」と同一視することは避けた方がよさそうです。
自覚的に「内巻」(過剰な比較や競争を駆り立てる社会的圧力)から一歩距離を置いて、静かに人生の本質を考え直す姿勢。それは寝そべるかどうかは別にして、「何もしない」ことに決める一種の主義とも言えそうです。もしかすると古代中国やギリシャの哲人にも通じる「躺平」思想家が生まれてくるかも知れません。ただそれが何年先か、何十年先かが分からないのが闇の闇たる所以でしょう。
暑さが本格化する中で、エアコンシェルターに守られた「躺平」生活を漫然と続けました。此方は主義や思想に程遠く、意識や自覚も乏しい物理的な「躺平」でした。パリでオリンピックが開かれ、その間にも戦争は熄まず、続いて高校野球観戦に膨大な時間を使って夏をやり過ごしていました。
そんな中で、『窯変源氏物語』(橋本治・中央公論社・1991年)を手にしました。作為や自覚に乏しい純粋な色好みの光源氏の生活と意見に興味をそそられ、政治と経済への透徹した見方に驚かされて、図書館からの借りだしが続いています。「明石」を越える頃には1991年の初版本が新本同様に美しく保存されていると感じました。かつて或る先達から頂いた「単行本版では、おおくぼひさこの写真作品が活きている」の助言の意味も分かってきました。
加えて白居易の八月十五日の月に遠流の友人を想う
「銀臺金闕夕沈沈 獨宿相思在翰林」
の引用など、作者の漢詩や 漢籍への素養を感じさせる巧みな表現を愉しんでいます。
折から、大河ドラマ『光る君へ』もシングルマザーになった主人公が藤原道長からの依頼をきっかけにして、『源氏物語』の執筆に取り掛かるストーリーに到っています。
そんな中、体力を整え、暑さ対策を施して九州へ向かいました。
母の実家の菩提寺で納骨・初盆法要をお願いし安堵できました。日向沖地震が発生した日でもありました。国東半島を隔てた豊前の中津市では揺れは軽微でした。
お陰で物事が収まるべき処に収まりました。60年近くも揺れ続けた胸の振り子も徐々に穏やかになることでしょう。
光源氏は明石から難波津まで戻って来ました。「澪標」の帖です。
古来より澪(水脈・みお)標(つくし)と称された水路標識は、主に淀川水系で発達したので大阪のシンボルとされ、大阪市章や交通機関のマークにデザイン化されています。昭和の初め大大阪と称された繁栄の時代に大阪に生まれた母は「澪子」と名付けられました。大阪大空襲で父祖の地に疎開して以来、長い流転を経て昨夏に船果てしました。戻るべき処に戻させて貰ったと勝手に思っています。
熱闘が続いた甲子園球場にも蜻蛉が飛び始め、長くスポーツ新聞同然だった一般紙もようやく落ち着きを取り戻してきました。
そろそろ「躺平」から脱却する季節が近いようです。
(井上邦久 2024年8月)
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