【多余的話】『初夏』

山東半島の良港青島に赴任したのは1989年の冬だった。当時は16年間のドイツ帝国租借下の鉄道駅舎や教会などが、日の名残りのように街の基層をなしていた。第一次大戦後の合計16年の日本軍政下の遺物は青島神社や旭公園のように壊されるか抹消されていた。

中山公園の花見が終わると、茶舗には「好消息!新茶上市!!」と手書きの紙札が並んだ。「好消息」はgood newsであり、新茶が市場に出回ったことを伝える初夏の報せであった。その「好消息」は食堂の黒板にもチョークで書かれて、「今天供応」蕃茄炒鶏蛋などが続き、今日はトマト玉子炒めを供給します(してやる)と自慢げでした。糧食切符制度が終わったばかりの頃で、需要と供給とのバランスが後者に薄かった時代の「好消息」の名残りだった。

津上俊哉氏による「2024年の中国政治・経済を読み解く」講演の席を確保して頂いた「好消息」を契機にして上京した。京橋の加島美術の渡邊省亭展と日本橋高島屋史料館での「ジャッカドフニ」展(ニブヒ・旧ギリヤーク民俗史料コレクション)にも間に合った。
津上氏に挨拶ができ、定点観測に基づく啓発を受けた日は生憎の雨。
翌朝は一転して快晴、乾いた風が吹くなか、横浜みなとみらい線の終点「元町・中華街」駅へ直行した。地下ホーム階からエスカレーターとエレベーターを乗り継いで、光の方へ出ればアメリカ山公園、港の見える丘へは通いなれた坂道、見頃のバラ園や大佛次郎記念館は素通りして、霧笛橋から神奈川近代文学館(通称かなぶん)へ。長い駐在を終え、趣味的な選択をして横浜中華街福建路に居を定め、「中華街たより」を綴った。その頃にしばしば元町商店街から外人墓地脇を抜けて坂道を登り、「かなぶん」を給水ポイントとした。

初夏の海風が心地よく、久しぶりに横浜を体感した。「かなぶん」館長が辻原登氏から萩野アンナ新館長へ交代期の特別展となった『帰って来た橋本治』展で精神の給水もできた。

国文学を専攻し歌舞伎研究会で実演した写真、『窯変源氏物語』執筆のための私製歴史年表や人物相関図、執務室に飾った吉田玉男(先代)が大星由良助を演じる写真など興味深い展示が並んでいた。
また東北大震災、原発事故の翌年に書かれた短編集『初夏の色』の装画が印象的で、小関セキという行方知れずの画家が気になった。それ以来、夏ミカン、ダイダイ、甘夏、晩柑をながめ続けながら、文章と装画を味わっている。大河ドラマでは「ききょう」が筆を執り始めた『枕草子』を橋本治が現代語訳に取り組んだ原稿もあった。
『初夏の色』のなかに、「満開の桜が瞬時に散って、その後から初夏の新緑が顔を出したようだ。なんの心配もなかった。」というくだりがあった。今年の桜が散った時期に、西宮の老華僑を訪ねて、口述記録をさせて頂く役を担っていたので、新緑の頃になんの心配もなかった、とはいかなかった。

コロナ禍に聞き取り活動の中核となっていた方が逝去したことと、十数年分の聞き取り記録を編集して出版することが重なったので、華僑口述記録研究会は、まるでブレーキとアクセルを同時に踏むような状態に見えた。『関西華僑の生活史』の完成を契機に、聞き取り活動を再開させることに手を挙げた。

経験に乏しい人間が先達の引率もなく、若手のメンバーと三人で訪問インタビューに取り組むことになった。心配不安を減らすには少しでも情報準備を増やし、当日に備えて体調を整えるという若い頃の営業活動の基本に立ち戻った。先ず研究会の創設メンバーが残してくれた詳細なマニュアルを愚直に反復した。戦前の台湾生まれのその方は幸いなことに随筆を公表されていたので助かった。

随筆には吉田山の麓から深江文化村に転居したのが一家の転機とあったので、土地勘を深めるため事前に深江文化村跡地を訪ねた。往時、阪神間の深江には外国人実業家や文化人が住み、貴志康一や竹中郁、小磯良平らが出入りし、ウクライナ人指揮者のメッテルを慕って朝比奈隆、服部良一も通ったという。文化村は現在、一軒を残して、小住宅やマンションへの再開発が進み、海岸線は埋め立てられ、阪神高速高架道路に六甲山系への視界は遮られている・・・といった事柄も準備段階で好奇心を掻き立てる余得となった。

当日は「遅刻厳禁」というマニュアル第1項に従って1時間前に近くで待機した。旧川口居留地でのフィールドワークの記憶が活用できたこと、九条新道「吉林菜館」の光子オーナーが中華学校での同級生と分かってから話が弾んで盛り上がり、あとで聴いた録音には笑い声と風鈴の音が終始収められていた。インタビュー中は全く意識しなかった風鈴の音は初夏の記録となった。

「多余的話」(言わずもがなの記)の蛇足・オマケをひとそえ。
大河ドラマで清少納言(ききょう)を演じているファーストサマーウイカの本名が「初夏(ウイカ)」であることは良く知られている。
素直な英語では初夏はearly summerとなるが、敢えてfirst summerにしている理由は知らない。

(井上邦久 2024年6月)

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